介護初挑戦、36歳男性スタッフの“リアル”

ブログ担当になった安部です。ももたろうで働かせて頂く事になって5日目になりました。

まったく違う業種から、未経験の自分が何故ここで働くことになったのか。働いてみてどう感じたかを率直に紹介したいと思います。

元々は飲食店向けの人材紹介業を10年近くやっていました。そこでは求職者の希望や状況、紹介先の人材不足の問題を真剣に考えるよりも、上手いこと言いくるめて利益の出やすいところへの紹介や、紹介先に対しても適切な人材のマッチングというよりも、採用の実績をとにかく作って利益を得るために、調子の良いことや、人数で勝負して表向きの実績をつくるような、いわば押し売り状態にして利益を得るような「利益重視の営業方針」に疑問を抱いていました。

勿論、業界全ての人がそうではないと思いますが、たまたま自分の周りにはそういった考えの人たちが多かったので、会社を辞めて自分で独立し、もっと人の為になるような会社を作りたいと思い、自分で会社を立ち上げようと試みました。

しかし、自分の考えが甘すぎ、上手い話に乗っかってしまいました。結局は資金調達に失敗し、三十代半ばで貯金もゼロの無職になってしまいました。

このままでは家賃も払えなくなり路上生活になってしまうと思い、地方で寮付きの工場の仕事につきました。半年ぐらい勤務しましたが、人相手の仕事を長年やってきたので、機械相手の仕事にどうしても慣れる事が出来ず、将来の不安も募っていきました。父に怒鳴られるのを覚悟で、「生活の目処がたつまでは実家で生活させて欲しい」と頼みました。

父は意外にも快く受け入れてくれ、実家に戻ることが出来ました。

転職活動を1ヵ月ほどし、営業スキルを一から学び直そうと思い、都内の電話営業の仕事が決まりました。しかし、勤務して2ヶ月、コロナの影響で仕事が無くなり、また転職活動をすることになりました。

せっかく決まった仕事も出来なくなり「何の仕事をしたらよいのか」「自分にはどんな仕事があっているのか」が分からなくなっていました。


そこで、親が自分のことを一番見てきたのだから相談してみようと思い、20年ほど介護ヘルパーとして仕事をしていた母に、どんな思いで介護の仕事をしていたのかを聞いてみる事にしました。

母親はとても明るい性格で、人前に出ることが好きなタイプ。

母は「一緒になって楽しくなれる仕事」がしたくてデイサービスの仕事をしていたと話してくれました。母の話を聞いてみて「損得勘定ではなく、純粋に人の役にたてる仕事」がしたいと思っていた自分の考えに、ぴったり合うと思いました。

将来性に関しても、これからの高齢化の進む社会においても、需要があり続ける仕事だと思い、介護職にしぼって転職活動をする事にしました。

そこで最初に面接に行ったのが「ももたろう」でした。

山形に住んでる祖母が通っているデイサービスも「ももたろうさん」という名前だったので、親近感も沸いていました。面接のときにもアットホームな印象を受け、初めての自分でも安心して働けそうと思いました。

面接から2日経って「ももたろう」から採用の連絡がきました。別の施設へ面接の予約を入れていましたが、丁重にキャンセルの連絡を入れ、はれて「ももたろう」の介護スタッフとして働くことになりました。

これがここで働くことになった経緯です。

まだ入って数日ですが、利用者の方からは自分の年齢でも、“若いお兄さん”扱いして頂き、毎日「モテモテ」でとても楽しくお仕事させてもらっています。

もちろん、裏方の仕事として食器を洗ったり、掃除をしたり、送迎ドライバーとしての仕事もこなしていかなくてはいけないので、覚える事は多く大変です。しかし、自分がいることで少しでも笑っていただいたり、「楽しかったよ」「嬉しいわ」と言っていただけるのがモチベーションになっています。

これからも色々な体験や発見を紹介していけたらと思います。

そして、今現在介護業界で活躍している方、これから介護業界で働こうと考えている方にも、私の発信する情報を通して、一緒に介護業界を盛上げていけたらと思っています。