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『認知症』この言葉は、テレビや新聞で目に触れない日はないほどです。今回「認知症になってもあきらめない!!」 と題し、認知症専門医として多くの方々の診察にあたっておられる榎本睦郎医師の講演があります。7/9( 水)15 時~、是政文化センターにて包括これまさが主催。是非お時間がありましたら足をお運びください。講演の後、“デイももたろう” のミニ交流会を開催したいと考えております。

転んだのなら、立てばいい

 現在85 歳のM 様は、" ももたろう” を2 番目に長くご利用下さっている方で、大変明るく、ムードメーカー的存在。生れは横浜。16 歳の時に終戦を迎え、駐留している黒人兵士とも仲良くなるほど社交的な方。辛い経験も沢山しておられるが、常に前向きで笑顔を絶やさない。それでいて、人の事を決して悪く言わず、ご自分の昔話を面白おかしくお話し下さるため、どこにいても友人の輪が広がる。
 ご主人とは戦後の動乱の中で知り合われた。米が貴重だった当時、駅で米を盗まれた。近くにいた青年が「かわいそうだ」と、米3kg を分け与え、その優しさに打たれハタチで結婚した。二十代前半は後楽園の案内嬢に抜擢され、何不自由なく楽しく過ごされる。ご主人も公務員のため生活は安定していたが、内緒で百貨店で働き、友人達とパッと使ってしまう事もあった。
 とはいえ、もとからあまり身体は丈夫ではなく、癌や脳梗塞など幾多もの病気を経験され、入院されることも多かった。中央郵便局の局長を務めあげられたご主人が、勲章を授与されることになった時も、ご夫婦共入院しておられたために伝達式へは出席できなかったほど。
 「癌の家系なのよ」と語られる通り、ご主人に続き、2 年前に最愛の娘(享年61 歳)を癌で亡くされた。新宿の病院に2 週間入院して「何でもない、どこも悪くない」と帰されたにも関わらず、自宅のトイレで「お腹が変」と訴えた娘に通院を強く勧め、他の病院で再検査をした。癌が発見された日「今夜は一緒に泊ろうか」の問いに明るく断る娘様に促され、「明日の朝一番で来るからね」と言い残して自宅に戻った。家に帰って暫くすると、電話が鳴った。孫の声で「母が死にました」と。「やりたいことがまだまだあったろうに。私が代わってやったらと何度思ったことか…」と、その後しばらくは苦悩の日々が続いた。この時ばかりは弱音を吐かれる事もあったが、" ももたろう”の仲間に励まされて、段々と元の明るさを取り戻しておられた。
 大きな転機が訪れたのは昨年の10 月、ご自宅のベッドから落ちて大腿骨頚部を骨折された。以前も同じ部位を骨折されており、金属が埋め込まれていた。この転落で金属部周辺も折れてしまったため、手術は危険を伴う大手術となった。年齢や他の病気との関係で、執刀医からも「覚悟しておいてください」と言われたほどだったが、手術は無事成功。その後の好調な回復は医師を唸らせるほどだった。
 リハビリ病院に転院し、2 ヶ月半に及ぶリハビリを頑張られ、晴れて自宅に戻ってこられたのが今年の2 月上旬。車椅子生活となったため、" ももたろう” 以外のデイサービスやデイケア等を利用されながら、元の在宅生活を段々と取り戻していった。
 そしてついに5 月から金曜日の週1 回、念願だった" ももたろう” のご利用を再開され、皆さまから大変な歓迎を受けておられた。今ではすっかり元のペースを取り戻され、仲間に囲まれて幸せそうな笑顔を見せて下さる。決して諦めなかったそのパワーの源は、『" ももたろう” にまた行きたい!みんなに会って話がしたい!』という強い目標に支えられて頑張られたからだと聞く。実はこの言葉、過去に二度お聞きしている。長期の入院をして戻って来られたのは、今回で実に三回目。目標に向かって毎日、目の前の課題に努力され続けた結果だとか。
 次の目標は、『歩く』事。娘様の墓参りに一度しか行けていない事について「情けない…」と涙を見せられ、決意を新たにされていた。人の強さの根源に、優しさがあることを改めて感じさせらる。
 木曜日の夜になると、お嫁さんから声が掛る。
 「明日は、おばあちゃんの一番好きな所におでかけよ」