▲ 上記画像をクリックするとPDFファイルが表示されます。


過去に癌の手術を受け、つい最近も癌が見つかり緩和治療を受けている友人がいます。その彼女が健康のために大切にしている事は ①睡眠 ②バランスの良い食事 ③体を冷やさない ④適度な運動 ⑤笑い の5つだと言っています。デイでも大切にしている事ばかりです。いつまでも楽しく健康に、住み慣れた家で生活したいですね。

輪廻転生

 生まれは、盛岡駅にほど近い盛岡市天神1丁目の大きな家。盛岡出身の父は、早稲田大学卒業後、地元の東北銀行に勤め、最後は支店長を務めた優しい人。母も、関東の女子大学を出て盛岡に戻り、書道と裁縫を教える女学校の先生になった。母は28歳の時に見合いで結婚し、子供は7人産まれた。私は4女で、兄と弟の2人が男性。大家族だが兄弟仲は良く、勉強を教え合って育った。母は結婚すると専業主婦になり、家事もきちっとこなし躾にも厳しかった。特に“お辞儀の仕方” や“挨拶” はみなに厳しかった。また、仲人として10組成立させるほどの世話好きでもあった。

 兄は小学校6年生の頃から網膜色素変性症を患い、徐々に視野が狭くなっていった。そんな兄を見て、私はいつしか医者を志すようになっていた。近所の岩手医科大学を受験するが失敗。その後1年間家庭教師を付けてもらい再度受験したが、結果は2年連続の不合格。世の中が嫌になり、全てを終わらせるために寒空の三陸海岸へ行った。そこに兄が駆けつけ「死んでは駄目だ」と一喝された。兄は、病気を抱えながらも前向きに生きる強い人で、慶応大学を卒業し地元の銀行に勤めていた。銀行へ入る前に盛岡の高校で社会科を教えていた縁で、数学の代用教員として推薦され、1年間中学校で数学を教えた。実は数学は好きな科目で、高校では一番の成績だった。その後、北日本銀行の本店に職を得る。面接の時に会った頭取が本好きの方で、私も芥川龍之介や夏目漱石を愛読し、一番好きな作家は三島由紀夫だったので、話が大変盛り上がった。経理として採用され、銀行の中にある図書係もした。給料も良かったので、着物を買ったり、趣味でピアノや社交ダンス、冬にはスキージャンプもして充実した生活を送る。一番良かった習い事は書道で、現在も大好き。

 銀行に入行して間もない20 歳の時、職場の集団検診で結核が見つかった。1年間の入院中は本を読んで過ごし、その間も給料が出たので助かった。結婚は26 歳の時。姉が石川島重工業に勤めていて、同じ職場の男性を紹介され見合いを経て結婚した。夫は5歳年上の31 歳で無口だがやさしい人。しかも美男子で頭も良かった。幸せの絶頂にあった結婚してから一週間が過ぎた頃、大学2年生だった弟が八幡平で遭難したとの知らせを受けた。仲間たちと行ったスキーで遭難し、亡くなった。家族みんなが悲しみに暮れ、家族を失う辛さを噛みしめながら泣き通した一年になった。

 夫の社宅が旗の台にあったので、そこで男の子と女の子二人を産み育てた。夫は原発のタンクを検査する仕事をしていて、200 人の部下を連れ1 年間の海外出張もよくしていた。私も時々出張先のシンガポールなどへ遊びに行った。何時も国内外に出張ばかりして激務だったが、人の倍は給料を貰っていた。私は、息子に学歴をつけてやろうと、東大を目指して「勉強、勉強」と口うるさく言って育てる教育ママだった。頑張らせたかったが、体が弱くあまり勉強することができなかった。娘には口うるさく勉強の事を言わなかったが、本人が希望していた音楽大学へは夫の意向で進学せず、女子大学卒業後は通信機器メーカーで秘書をしていた。1年で辞めるとその後は、趣味のピアノを教えるようになり、今もピアノを弾いている。

 夫は定年後も働いていたが、65 歳の時に大腸がんが見つかった。すぐに手術を受けたが、経過は良くなかった。息子がみんなで家族旅行をしようと言い“バンコクの暁の寺” を家族4 人で旅行した。ここは私の大好きな三島由紀夫作『暁の寺』に出ている、ずっと行きたかった所。私以外の3人は階段で寺院の上まで登ったが、私は下でみなの帰りを待った。家族旅行はこれが最初で最後だったと記憶している。主人はその年に亡くなり、亡くなる前日まで仕事をしていた。私はまだ60 歳で寂しい思いをしたが、それからは娘と二人でよく旅行へ行った。フランス・アテネ・スイス・ニュージーランド・イタリア・アルプス山脈・香港・シンガポール・バンコク、国内も伊豆や箱根によく行った。旅行は70 歳、上野の展覧会に出品したりもした書道は75 歳まで続けた。今は週に1回の“デイサービス ももたろう” で書道をするのが一番の楽しみ。書道が終わると写経を書いている。歌も好きで『枯れ葉』『あなたが欲しい』など。シャンソンも大好き。

 現在91歳になり、娘と2人でヘルパーさんやケアマネジャーさん、訪問医に守られながら暮らしている。車いすを押してクリニックや銀行にも行け、家で筆を持つ事もある。夫のおかげでお金の心配なく暮らせているのが幸せ。毎年、夫の命日になると娘と共に夫が眠る紅葉ヶ丘のお墓へ墓参りに行っている。今までの人生を振り返ってみて、楽しい半生だった。夢は110歳まで生き、一生書道を続けること。つくづく、生きていてよかったと思う。