「3月8日で 79 歳になりました」とご報告くださったのは、週2回午後から傾聴などのボランティアに来てくださっている女性の方。「79 歳の目標は、東京タワーの外階段600段を登る事」だそう。大変体が軽く軽快な方で、週に3回ご自身の住まいの階段を600段登っていらっしゃるそうです。いくつになっても目標を持って生活する事の大切さを教えて頂きました。
温かさに包まれて
生まれは、山梨県中巨摩郡櫛形町。2003 年には6つの町や村が合併し、南アルプス市になった。家から櫛形の山が拝める自然豊かな土地で、奥には南アルプスの峰々がよく見えた。実家は両親が専業農家を営なみ、稲作と養蚕を中心に野菜も育てていた。兄弟は兄・姉・兄・兄・兄そして私の6人兄弟。一番下で姉とも年の離れた女の子だったので甘やかされて育ったと思う。兄たちは養蚕や農業を本格的に手伝っていたが、私はあまりせずに草取りなどをしていた。養蚕は大きな建物で蚕を飼い、近くの桑畑で桑を採り、蚕に与えた。小学校は自宅から 40 分程、桑畑の間を歩いて登校した。坂の多い通学路を近所の友達たちとワイワイ話をしながら歩くのが楽しかった。中学校はバス停まで 10 分歩き、バスに 20 分乗って登校した。高校は県内の農業高校に進学し、家庭科に進む。共学の学校でも学科によって男子と女子が分かれていたため、あまり男子との交流は無かったものの、クラス委員長や生徒会の副会長も務め、高校時代が一番楽しかった。授業では縫物や料理など家庭の仕事を一通り3年間習った。当時、美智子さまと皇太子のテニス交際のニュースで、ちょっとしたテニスブームだった。高校入学を機にテニス部へ入るも、顧問の先生があまり好きになれず他の部員と共に2~3日で辞めた。
高校卒業後は、学校の推薦で北品川駅前にある機械部品を作る会社に就職した。同じ学校から6~7 人集団入社したため、寂しさもなく上京できた。会社のすぐ隣にある女子社員寮は5人部屋で、恋の話をしたりして夜も楽しかった。食事も寮母さんが作ってくれ、職場も隣で楽ができた。はじめは部品を作る仕事で、その次には事務職に移った。後に主人になる人は、中途入社で部品を作る部署に配置された同い年の人。優しくおとなしい人で、事務室によく来て話をしていた関係で付き合い始めた。
2歳年上の兄が都心で八百屋の修業を積み、ついに府中駅前の商店街に小さな八百屋を開店することになった。「手伝ってくれ」と言われ、23 歳の時に府中へ転居してきて、それ以来府中に住んでいる。24 歳の時に主人と結婚し、しばらくして主人も一緒に八百屋で働くようになった。鮮魚店の『浜喜屋』の近くに位置し、お客様は次々に来店されて活気にあふれ、お客さんとのふれあいも楽しかった。兄が新宿で買い付けてくる季節の野菜や果物は、新鮮で安いと言われよく売れた。そして 26 歳の時、女の子が産まれた。当時は保育園などの子供を預かってくれるところは少なく、主に母親が自宅で面倒を見た時代。我が家は八百屋の前に乳母車を止め、そこに乗せて育てた。お客さんから「こんなにかわいい女の子、連れていかれるよ」と、よく言われつつ、2歳か3歳になって愛児園に入るまで乳母車で育てた。愛児園は小学校に入るまで通わせ、小学校では学童へは行かず、放課後はお店に来て店の周りで缶蹴りやかくれんぼ、絵を描く等をして、夕方一緒に帰宅するまで遊ばせた。店は兄・兄嫁と私・主人とで店番をした。デイで働いているスタッフも何人か常連だったそうで、そのうちの1人はお子さんをトイザらスへ連れて行った帰りによく買い物をしてくれていたそうだ。お店にレジ台などはなく、お客さんとは直接お金と商品のやりとりをした。小学校時代にソロバンを習い暗算は得意だったため、お金のやり取りは早かったと思う。70 歳くらいまで仕事をして、兄が亡くなったのをきっかけにそのお店は閉じた。 50 年近く府中駅商店街に立ち続け、街の移り変わりを肌で感じながら、野菜を通じて地域に貢献できたと思う。もっと仕事を続けたい気持ちはあったものの、その後は家に入り現在に至る。
現在、“デイサービスももたろう” へ週2回通っている。今の2回が丁度いい感じ。昼の食事もおいしいく、家ではあまり食欲がわかないのに、デイではいつもよりも多く食べられるのが嬉しい。デイで歌をうたうのも好き。水曜日のギター演奏・金曜日の三味線やオカリナ演奏での唄はとても楽しく、元気に明るく過ごしている。皆さんが温かい。一方で、通っていない日は家でゴロゴロして過ごすことが多く、テレビを点けても面白いものはない。体にもよくないし、逆に精神的な疲れを感じる。一人でいるのは心細く、誰かといると安心できる性格。今は主人と娘の3人で暮らしているものの、主人は今も野菜関係の仕事をしている。娘も池袋に職場があり朝6時過ぎには家を出て、帰りは夜8時頃になる。夕方になると「早く帰ってこないかな」と寂しい気持ちになる。足がだるくて長い時間立っていられないため、調理などの家事も娘に頼っており、忙しいと買ってきた食事を食べることも多い。
人からは「いつもニコニコしていて優しそう」と言われるが、本当は心配性。デイのお迎え1時間前には用意を済ませ、デイの車がいつ来るものかと、家の中からソワソワと通りを見ている。デイの午後はよく散歩へ行き「足の運びが軽い」と褒められるものの、実は結構疲れている。それでも歩かせてもらえることに感謝している。以前一人で歩いた時に転んでしまい、顔に黒い傷ができた。その以降、外を歩く時には必ず主人が手を繋いでくれる。人からは「仲がいいね」と言われるものの、一人でまた倒れられると困るからだろう。同い年の主人は目も耳も良く、運転が上手いため今も仕事で運転しており、買い物なども一緒に行ってくれる。
現在 78 歳。周囲の人に恵まれた人生。主人と娘も仲が良く、友達のように色々話をしている。3人で静岡・九州・北海道・広島など国内をたくさん旅して、今も3人で熱海に行く。今一番考えている事は「これからの人生」。こうしていつまでも3人で元気に楽しく生活したいが、ずっとということはない。一人残されたら、とても生きてはいけない。そうはならない人生であってほしいと願っている。