毎日の昼食前に口腔体操を行い、食後にはスタッフがつき、歯ブラシ・義歯ブラシを使って歯を磨いて頂いています。また、希望者には最大で月2回、「看護師による口腔ケア」を丁寧に実施しています。定点的な状況観察や歯磨き指導、ブラッシングまで行い、皆さま大変歯がきれいになられました。もし虫歯等が疑われれば、歯科受診していただくよう関係者へ連絡しています。
さっぱりとしながらも滋味深い
島根県の中海に浮かぶ“大根島” 生まれ。中海は湖のように四方を陸で囲まれた海で、今では橋が架かって陸続きになったが、昔の大根島は船でないと行けなかった。姉2人、妹1人の4人姉妹。父は漁師で、小さな船で中海の沖まで行き、うなぎを中心に漁をしていた。父の捕ったうなぎも死んでいれば売れないため食卓に並び、私も岸で魚を釣って夕食のおかずにした。母は境港にある魚の缶詰工場に勤めていて、文字通り魚を中心とする生活をしていた。小さい頃は境港の飛行場から飛びたつ飛行機を高台から眺めて過ごし、友人たちと縄跳び・陣取り・木登り、あんずやイチジクの木に登っては果物を採って食べた。のんびりとした島で、のんびりとした時間が流れる生活。島根県には他にも縁結びの神様『出雲大社』・『松江城』・『三保松原』・『足立美術館』の素晴らしい庭園など良いところがいっぱいある。家族や友達と松江城や出雲大社へよく行った
ものだ。島内の小学校・中学校共に通い、給食は色々な食べ物が食べられたので好きだった。瓶に入った牛乳も出た。中学時代は友人5~6人とよくお堂で遊び、活発な子供時代だった。
中学卒業後は、学校の紹介で兵庫県の加古川にある織物工場に勤めはじめた。私の学校からは一人だけだったものの、寮に入るとすぐに友達もできた。寮は畳の部屋に3人ずつ、布団を敷いて寝起きしていた。そこで2年ほど勤めただろうか、一緒に勤めていた友人が大阪の天王寺にあるランドセル工場に勤めを替えたので、私もそのランドセル工場に移った。そこで主人となる人に出会った。主人はランドセルをミシンで縫う仕事をしていた、7歳年上のやさしい人。大阪で結婚して娘も二人できた。娘たちが小学校に通っている頃、主人の実家がある東京の足立区に転居した。主人のご両親がそこで小さなランドセル工場を営んでおり、私も一緒に働いて、のりを付けたりする仕事をした。主人の両親と、私たち5人家族で工場の隣にある家に住んだ。皆が優しい人だった。そうして6年ほど仕事をしただろうか。主人は腸の病気で通院が増え、入院がちになっていた。主人は50 代前半の、まだまだ働き盛りの頃に腸の病気で亡くなった。当時、2人の娘たちはまだ中学生か高校生だった。
主人を亡くしてから、姉のいる府中に転居してきた。最初は本町のアパートに住み、団地が当たったので転居するも、すぐに取り壊しのため、また転居し今の団地に落ち着いた。仕事も府中でした。勤め先はスーパーが多く、府中駅の近くにあった『忠実屋』で揚げ物の調理や、品出し、掃除など色々な仕事をしたが、どんな仕事も楽しかった。じっとしているのが好きではなく、娘たちと3人で方々に出かけて思い出を作ったのもこの時期だった。その後50 代頃から卸売センター近くの会社で、清掃の仕事を任された。一人での仕事なので、自分のペースで仕事ができ、好きなようにさせてもらえた。事務所の掃除や草取りなど83 歳まで働いた。その仕事を辞めてからしばらく長女の夫が東府中で焼き肉屋を営んでいたため、裏方を少し手伝っていたものの、閉店してしまった。現在84歳。今まで仕事をしていたので、何もしない時間はつまらない。もう雇ってくれるところはないが、まだまだ仕事を続けたかった。
趣味は50 代ごろに姉についていって始めた“長唄” と、昔から時間があるとしていた“編み物”。長唄は目白まで有名な先生に習いに行き、浅草の公会堂で舞台に立たせてもらったこともある。それに加えて、友人たちと日本各地へ行った“旅行” だ。“デイサービスももたろう” には、今年の6月から通っている。皆さん良くしてくれて、とっても楽しい。火曜日は2階で押絵をして、金曜日はアウトドアか生演奏での歌唱と、私に合う活動で楽しく取り組めている。もう一日運動系のデイに通い、それらに行く予定のない日は、府中や聖蹟桜ヶ丘に一人で行って買い物をしている。立川で昔の友人に会ったりしていたが、最近はお互いに出てくるのが億劫になってきた。現在は一人住まいなので、歩いて『ライフ』まで行って買い物をし、自分で調理して食べている。煮たり焼いたり何でも作って美味しく食べ、娘も一緒に「美味しい、美味しい」と言って食べてくれる。
人からは「いつもニコニコしている」と言われる。何でも楽しいし、小さいことにも幸せを感じるからだろうか。また、「こんにちは」と誰にでも挨拶する。挨拶が一番良い。人の悪口は言わないようにしているし、言ってはいけない。お喋りするときも、相手に合わせて“ああだこうだ” 言わないようにしている。相手は相手でやっているんだから、こちらからあえて深入りする必要もないし、しない方がいい。確かに、挨拶しても返してくれない人もいる。そんな時は知らんふりして気にしない。へりくだることも、機嫌を取ったり、おだてたりすることもしない。何があっても根に持たず、合わない人とは無理に合わせるのではなく、距離をとればいいだけ。一度勤めると長いのは、どこで働いても不満がなかったからだと思う。人と比較せずに目の前の事を楽しんでいれば、不満なんて生まれない。次女は通勤の間などで1日に1回は来てくれ、たまに孫も来てくれる。娘は2人とも結婚し、ご主人もいい人。度々旅行や食事に連れて行ってくれ、お陰様で一人で住んでいても寂しくなることはなく、幸せに暮らしている。