▲ 上記画像をクリックするとPDFファイルが表示されます。


先日のカラオケ会は隣町のお店へ向かう車中から盛り上がり、店内でも3時間大いに盛り上がりました。「病気をしてから一度も来れなかった。今日来れてとても元気が出た!」と仰って下さる方もおり、大変嬉しかったです。今後も非日常かつ、楽しく満足して頂ける活動を計画しております。洋食食事会 … 5/23 [金] ・趣のあるお部屋で歌舞伎を楽しむ会(立川) … 6/1 [ 日]・猿之助・中車(香川照之) ※全て有償の活動です

愛する事、護る事

 ももたろうの数少ない男性である、О様は現在73 歳。
 鳥取県の農村出身で、夏は海、冬は雪山でスキーを楽しみながら気ままに育った。高校卒業後、1年ほど地元農協に勤めていたが、元軍人(満州関東軍騎兵隊士官)で十人兄弟の長男の勧めもあり、京都の陸自を経て山口県防府の航空自衛隊に入隊。この頃に奥様とも出会われる。パイロットを志望していたが、視力の関係で叶わず、通信機器やレーダーの整備を担当することになった。機器を納める日本電気や三菱の社員とともに、日本全国の基地を飛び回る日々が続いた。台風が来れば設備を分解しなければならないなど、徹夜作業が続くこともあった。特に思い出深いのは、硫黄島に派遣された数年間。厳しい生活環境の下、先の大戦で散っていった方々や、遺骨収集に訪れる遺族とのふれあいを大切に生活した。
 そんな働き盛りの40 代半ばのある日、仕事中に倒れた。医師から告げられた診断は、脳梗塞だった。子供はまだ中学校に通っていた時期。不安も大きかったが、幸いにも症状は軽く、腕の良い医師だったためか3週間で退院した。仕事はそれまで通り継続でき、無理をしないように仕事をしつつ55 歳の定年を迎える事が出来た。
 自衛官時代は「人生の目的は、いかに死ぬか(命をどう使うか)にあり、それはいかに生きるかに通じる」という哲学・価値観を学んだ。二十代半ばに市ヶ谷駐屯地での任務を遂行していた、11 月25 日。三島由紀夫が私達自衛官に対し、文字通り命を掛けて伝えた事も影響している。今でも目に浮かぶ「三島事件」だが、自衛官よりも愛国心の強い天才の主張に、共感する仲間も多かった。
 出家したい訳ではないが、今は写経や仏教の勉強を本当にしたいと思っている。木曜日の習字を頑張っているのはそのためだ。他にも、農業をしてみたいと思っている。午後の散歩を頑張っているのは、いつか妻の園芸を手伝えるように、迷惑を掛けないよう身体を鍛える為だ。
◆◆
 О様は筋の通った方で、愚直なまでの努力家でもあります。左半身に麻痺が残るなか、今でも時間があればパソコンに長時間向かい、識者の格言が散りばめられたエッセイや論文を集積されています。又、両足ふくらはぎは硬く、毎日のお散歩やリハビリを根気よく続けておられることが分かります。
 元々口数の多い方ではなかったО様。お散歩中に子供時代のお話を伺っていた時のこと。急に思い出し笑いをされ、このまま倒れてしまうのではと本気で心配したほど笑われた事がありました。伺うと、子供時代のいたずらの話で、長男所有の鶏が産む卵を来る日も来る日も鶏舎に通っては盗み、こっそり売っていたそう。手に入れたお金は「PTA の会費を、親に出させるのが悪かったから」と、О様らしい回答。「ももたろうで過ごされるようになって、いかがですか?」との問いには「こんな話ができるんだもの、本当に嬉しいよ!」と、満面の笑顔を下さいました。
 О様は仰います。「家族を大切にし、家を守る事が、国を護り、自分を大切にする事に繋がる」と。「今の自分があるのも妻のお陰。本当に助かっている」と臆面もなく仰られ、「わがままだから妻も大変だと思うけど」といたずらっぽく笑っておられました。

0