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先日、スタッフ会議にて今年度の行事について話しあいました。 ①作品展…5月16日(土)・17日(日) ②家族会…作品展の日に開催 ③ランチ会…「木曽路」「マック」「回転ずし」「スタバ」等、なかなか一人では行けない場所へ3月頃より定期的に行ければと思っています。今年はスタッフの研修にも力を入れ、より良質のデイを目指しています。是非ご意見・ご感想等お寄せくださいませ。

中近東に魅せられて

 主人とは名古屋の会社で知り合った。主人の会社はトヨタのため、名古屋と東京を行ったり来たり転勤が何度もあった。結婚後に親戚から「住んでもいいよ」と、東京の一軒家を5年間借りて住んだ。そこは本当の“成城” で、斜め前には三船敏郎の家があり、隣は有名な作家の家、そしてその隣は満鉄のトップの家。どのお宅もお手伝いさんが出入りしているため、近所とは言え家主との付き合いは回覧板をまわす時だけ。私が買い物に出かけると「あなた、どこの家で働いているの?」と、どこかのお手伝いさんに尋ねられて「私の家よ!」と言い返した事もあった。「東京には金持ちばかり住んでいて、貧乏人はいないのではないか」と本気で思ったほどだ。成城に住んでいた5 年間は、日本の、豊かな生活を体験したとってもいい思い出。
 元々旅行が好きで、イギリス・フランス・イタリア等、ハイセンスで煌びやかな世界に何度も足を運んでいた。50代ごろにたまたまトルコへ旅した事を切っ掛けに、中近東へ行くようになった。いつも触れている西洋文化とは全く違う文化を目の当たりにし、「自分はいかに無知であったか」「仏教・キリスト教しか知らない自分は、世界観が狭い…」と衝撃を覚えた。中近東で見聞きする、全てが新鮮でなんにでも興味が向いた。それ以来、年に2回はイスラム教圏に行くようになり、通算20回は行ったと思う。多くの人が貧しい生活をしているが、穏健でありイメージと違って怖い思いをした事は一度もなかった。しかし、いくら主人を誘っても「金をもらっても行きたくない」と拒否され、毎回ツアーに一人で参加した。イスラム教圏の朝は早い。夜明け前の朝5時頃、「アザーン」という礼拝の呼び掛けが聞こえ、一斉にウォーっと町中で祈りが始まる。1日5回、道路でも室内でも跪き、礼拝が始まる。旅行者である私たちは、じっとその様子を見守る。東京外語大のイスラム教の講義を聴きに行くようにもなったが、あくまでも「物見高い」のであり、知らない世界への好奇心。イスラム教徒になろうと思った事はない。
 旅行以外も「同じ見るなら本物を!」をモットーにしていた。オペラが好きで、本場のイタリアからオペラの公演が来ると、10万円出してでも殆ど見に行った。お金は「自分で稼ぎ、自分で遊ぶ」をモットーに、10 年ほど「くもん」の算数や英語を幼稚園生から高校生まで教えていた。全部旅行とオペラに使ってしまい、今は一円も残っていない。
 人生で辛かったのは、義両親の介護。主人の弟が急死し、お嫁さんは「面倒をみることができない」と言うので、北海道の義両親を引き取ることになった。“親思いで優しい”主人が、「長くはないから」と連れてきたのだ。しかし、主人は何もしてくれない。義両親も同じような性格のため、1 日3食を毎日毎日用意した。義両親が90 歳を過ぎて亡くなるまで、10 年以上そんな生活を続けた。色々と辛い事も多かったが、「喧嘩してもしょうがない」と一定の距離を保ちつつ、誰とも争わなかった。ただ、嫌な事は忘れる性格なので、あまり覚えていない。
 10 年ぐらい前、市の検診で肺がんが見つかり、都立府中病院で背中一直線にメスを入れられた。告知された時はさすがに落ち込んだが、今では元気にしている。その後も同じように生活を続けていたが、外出する事も段々少なくなってきたため、私に合う場所として紹介されたのが“ももたろう” だった。月曜日の『アート制作』では、センス抜群と先生に褒められている。金曜日の『アウトドア』では、最近はなかなか行けないところに毎週連れて行ってもらっている。“ももたろう”では気の合う、良い友人にも恵まれ、楽しい時間を過ごさせてもらっている。現在83歳。ももたろうで新しい世界を教わりながら、健康で楽しく生きていきたい。