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6 月 29 日(木)に4,5,6月生まれの方々とスタッフの総勢13名で誕生会をしました。春生まれの特性なのか、今回は大人しい方が多く、スタッフが先導して歌やインタビューをしました。次回は9月の予定です。 ★12 月2 日(土)にクリスマス会&作品展を『ルミエール府中』で催します。会場も広くて歌も歌えます!乞うご期待。

姉として、母として

 私は東京下町の深川で、長女として生まれた。母は綺麗で優しく、人に尽くす人だった。本当の父は幼い頃に離別したため、何も記憶に無い。いとこが「おじさんが来ている」と声を掛けてくれ、あまり知らない男性と食事した事が何度かある。きっとそれが父だったのだろう。
 私が13 歳の時に、母は再婚した。義理の父は鉄骨関係の建築業をやっていたため、抱えていた若い職人数人と自宅で寝起きするようになった。母は皆へ親切に接し、食事・洗濯から何やら何まで世話していた。父がやきもちを焼き、暴力を振るうようになるまで時間は掛からなかった。酒を呑むと私の前でも母を叩き、ある時は包丁を持って母に襲いかかろうとした。その時は真ん中に割って入って止めたが、本当に怖かった。毎日が緊張の連続だった。一番辛かったのは、父が中学生だった私を、女として見ていたこと。母が留守になると、傍に寄って来て体を触ろうとしてきた。父が怖くて怖くて、いつも息を殺して生活していた。母が帰ってくるまで床下に隠れて過ごすこともあったが、母にこの悩みは絶対に言えなかった。母を悲しませたくなかった。
 父の仕事は浮き沈みが激しく、景気が良い時もあったが、質屋通いも長かった。私が一緒に行くと余計にお金を貸してくれるからと、毎回母について行った。中学を卒業すると、自動車教習所で受付の仕事に就いた。自宅に戻りたくなかったこともあり、仕事が終わるとまた電車に乗って、夜間の定時制高校に通った。そんな生活をしている頃に妹が生まれ、3年後にもう一人妹ができた。父は妹達に対しては、父親の顔をしていた。真実を知って妹達が悲しまないように、私は父と“普通の親子” を演じ、妹達が大人になるまで支える事を決めた。
 高校卒業後も自動車教習所に勤め、20 代前半で10 歳年上の教官と職場結婚した。結婚してから、舅・姑・主人・私の4 人暮らしが始まった。朝仕事へ行き、夕方に帰ってくる。周囲からはきっと“普通の家族” だったのだろうが、こんなに幸せなことはないと思えるほど、幸せだった。娘1 人、息子2 人を授かり、姑が子供の世話をしてくれたお陰で出産後も仕事を続けられた。実家に残してきた妹2 人の授業料や、その他妹達の費用を賄う為にも懸命に働いた。月給を貰って、父に現金を差し出す時だけは、「すまんな」と言ってくれた。そんな父も60 代で癌になった。病床で泣きながら「本当に悪かった、悪かった」と何度も頭を下げる父を見て、地獄のような日々を全て水に流した。
 幸せな人生に転機が訪れたのは、私が46 歳の時だ。主人が56 歳の若さで急死したのだ。しばらくは教習所の仕事を続けたが、お金の関係で辞め、八百屋の売り子になった。呼び込みが上手いと褒められ、野菜がどんどん売れた。八百屋での仕事は売れ残った野菜をたっぷり貰え、給料も良かった。他のお店から声を掛けられ、掛け持ちで高級野菜や果物も売るようになった。それでも生活が苦しく、最大で5 件掛け持ちしていた。忙しいと、寂しさを忘れられる気がした。舅が病気で倒れた時は、仕事が終わってから2 時間かけて病院へ通った。舅は「良いお嫁さんが来てくれた、ありがとう」と残して、息を引き取った。舅が亡くなった翌年には、姑も後を追う様にして亡くなった。この頃には子供達も成人しており、娘には孫もできたが、息子2 人は進路を決めかねていた。何か仕事があれば落ち着いて生きていけると考え、「喫茶店か食べ物屋さんでもしたら?」と提案した。直ぐに2 人は動き、府中にお店ができそうな場所を見つけてきた。開店資金は主人の実家を売って捻出し、府中の自宅兼喫茶店へ越してきた。ほどなくして息子二人とも結婚し、良く働くお嫁さんが来てくれた。家族で喫茶店を切り盛りし、皆が一生懸命働いている。
 府中は全く知らない土地で、歩いてもなかなか家に帰れず、混乱が出て来た。息子の勧めで通い始めた“デイサービスももたろう” へは週3 日通っている。仲の良い大切な家族や友人に囲まれ、今は幸せ。私の信条は、自分が動ける時・できる時に、できる限りの事をしておく。辛い事があっても、“真面目にコツコツ” やっていれば、良い事は必ず巡ってくる。今は“老いては子に従え” と、子供に迷惑を掛けないように生活している。これらは母から教えてもらった事だ。妹は東京と山梨に住んでいて、今でも「高校まで出してもらった」と、何かあると庇ってくれる、頼もしい存在だ。
 “真面目にコツコツ”、“老いては子に従え”。人との出会いで、道は開ける。

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