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クリスマス会&作品展  場所:ルミエール府中1 階 会議室 日時:平成29 年12 月2 日(土) 【作品展示】9 時半~ 17 時 ・押絵や絵手紙等の作品展示 【クリスマス会】10 時半~ 12 時 ・皆様の歌 ・笛と琴の合奏 ・マジックショー などなど

堅実に、根を深く

 私は東京荻窪で長女として生まれた。専業主婦の母は浅草生まれのシャキシャキした性格で、父は建築業で福井出身。物静かだが堅実な人で、荻窪の他にも土地を持っていた。10歳年の離れた次女と、その下に妹と弟がいる。戦争が激しくなった小学5年生の時、生まれたばかりの次女を連れて、福井にある父の実家に疎開した。よく疎開先でいじめられたという話を聞くが、そのようなことはなかった。ただ、「何時まで居るんだ」と言う無言の雰囲気を感じたが、終戦を迎えると皆が優しくなった。
 短大卒業後は新宿伊勢丹の呉服売り場に職を得た。今思うと、伊勢丹で働いていた時期が一番楽しかった。仕事や友達と遊んで家に帰ると、妹の家庭教師と何度か会った。その4つ上の近所の男性は、妹や母親に馴染んでおり、夕食を食べお風呂に入ってから帰って行った。何度か帰り際に会っただけだが「真面目そうな人」という印象の他、特に気にも留めていなかった。妹から「あんなお兄ちゃんが居ると良いな」とか、母からは「あの人が婿になってくれたら良いな」と言われ、外部から結婚の話が進んでいった。程なくして23歳の時に結婚。主人は福島出身で、農家の5男坊。国税庁に勤める国家公務員だった。母は公務員である事を歓迎していたが、主人の給料があまりにも安いため、寿退社を諦め子供を親に預けながら伊勢丹で働き続けた。当時はボーナスが6か月分も出たため、辞めるに辞められなかった。そんな生活は長男が2歳近くになるまで続き、退職後は主婦業に専念した。子供は男の子が2人。長男が進学する都合で、府中で貸していたアパートを潰し、家を建てて引っ越した。教育熱心という訳ではなかったが、長男は東京大学を、次男は早稲田大学を卒業した。
 国税庁を定年退職した主人は、税理士として仕事を続けた。突然仕事仲間を家に連れてきて、一晩泊めた事は何度もあったが、そんな夫とは結婚以来一度も喧嘩をしたことがない。余暇を利用してアメリカ・イギリス・フランスなどへ外国旅行を一緒に楽しんだものだ。母は70歳くらいで癌に罹り亡くなったが、父は80代まで一緒に海外旅行へ連れて行った。元気なうちに101歳で亡くなり、主人も4年前に83歳で亡くなった。今となっては4家族で楽しく海外旅行へ行けたことが、とても良い思い出。
 私も83歳になり、府中の家に一人で住んでいる。掃除や洗濯は自分でしているし、和室で寝起きをしているが、布団の上げ下げも自分でできる。ただ、2階に上がることは無くなった。夕食はお弁当が届き、時折お嫁さんが果物や煮物を届けてくれる。近くにコンビニもあるし、日常の生活に困る事はない。息子たちは日曜日に交代で様子を見に来てくれ、近所の奥さんはデイの日に見送りに来てもくれる。日中の話し相手がいない今、“ももたろう” に行って様々な人との交流や活動が楽しい。社交ダンスや日舞をやっていたためか、体が柔らかく、姿勢が良いと褒められる。頭の体操としては、伊勢丹時代からやっている株のために、日経新聞や経済ニュースを毎日確認している。ただ、このところ頭がおかしくなってきた。今したことを忘れてしまい、同じことを繰り返し聞いたり、確認の電話を何度もしてしまうことがあるそうだ。周りから色々小言を言われる事もあるが、気にしないで「笑って終わり」。こればかりはどうしようもないのだから。妹達とは毎晩電話をしている。何しろ10歳以上離れているので、二人ともまだまだ若い。私も負けじと身体は丈夫で、十代の頃に胃潰瘍の手術を受けた以外は、大きな病気をしたことは無い。
 こうやって話してみると平坦な人生だが、このまま今の生活を続けていければ幸せ。ケアマネジャーさんがサービスの調整や、お風呂に手すりを付けたりと、色々手配をして下さっている。あとは、彼氏が見つかるともっと良いのだけれど、“ももたろう” は全員女性なのよ。

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