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1・2・3月生まれの方々の誕生日会を3月26日の夜に実施しました。次回は令和元年6月の予定です。現在 “大正” 生まれの方は3名おられ、時代の重みを感じています。改元と共に始まる新時代、「わくわく、ゆったり、楽しく」に「いつまでも歩ける」をモットーに加え、気持も新たに様々な活動をしていきたいと思っています。

明日は明日の風が吹く

 生まれは東京都中野区。父は石材屋に勤める職人で、職人気質の厳しい人だった。母は専業主婦で、私は2歳上に姉を持つ次女。大体2年おきに妹や弟が産まれ、5人目で最後と思ったのか、両親はその子を『スエコ』と名付けた。戦争が始まると父は兵隊に行ったため、父の実家である埼玉に一家で疎開した。姉が小学校3年生、私は1年生の時だった。そして終戦を迎えた8月、父が疎開先に帰還した。気丈な母が父を前に崩れ落ちる光景を、今でも覚えている。父と共に一家で中野に戻ったが、空襲で仕事場は焼けていて、住んでいた家に戻る事も出来なかった。仕方なく近くに土地を借り、廃材やトタンを集めて一間のバラックを建て、そこで暮らし始めた。父は日雇い人夫として働き、母は内職をして日銭を稼いだ。バラックで歳の離れた双子が生まれ、7人兄弟となった。母を手伝うため、姉はいつも台所仕事をし、私はもっぱら子守をした。姉と私は庭で野菜を育てながら内職も手伝い、封筒貼りやボタンつけなど、何でもした。依頼主から信頼され、難しい仕事を任せてくれるようになると、賃金も少し多くなった。稼いだお金で双子にミルクを買ってやった。小学校も焼けてしまったので、離れた別の学校で午前と午後に分かれ二部制の授業を受けた。給食は5・6年になってようやく再開された記憶もあるが、勉強した記憶は余りない。今では考えられないが、生きてゆくことに精いっぱいの時代だった。惨めな生活が嫌で頑張れたというより、皆が必死だった時代。それでも仲の良い家族の助け合いは、楽しくもあり、絆はさらに強くなった。
 中学では家庭科が好きで、卒業後は住み込みのお手伝いさんとして仕事を始めた。一番印象深いのは、証券会社社長のお宅。いとこが働いていたのだが、結婚したいからと交代を懇願され、幸せになって欲しいとの思いで引き受けた。そこには時代劇に出てくるような門があり、車寄せから玄関まで何十歩も歩く邸宅。父は「バラックで育った娘が、こんな立派な家で務まるか?」と心配していたが“為せば成る、わからない事は聞けばいい” と母の言葉で乗り越えた。社長夫妻と2人の御子息が暮らし、私の他に新潟出身のお手伝いさんがもう一人居た。二人で「夢のまた夢の生活だね」と話していたが、実際は想像より慎ましい生活を送っていた。また、家によって子供の育て方がこうも違うのかと驚いた。勉強は学校の先生が家庭教師として家まで来て、丁寧に教えていた。余暇は両親に代わり、私がキャッチボールの相手をした。「キャッチボールをしてくれた方がいい」と、奥様が台所仕事を引き受けてくれる事もあった。家出した御子息を探しに奥様と夜の繁華街へ探しに行き、私が声を掛けて連れ帰ったこともある。給料を貰いながら会社勤めでは到底味わえない、良い人生勉強をさせてもらったと、今でも感謝している。私の二人息子を育てる時にも、その教訓が大変役に立った。「父に恥をかかす事だけはしないで」と子供達に言い聞かせ、それ以上口うるさくは言わなかったが、手を煩わせることもなく立派に育って行った。
 この仕事は22歳で結婚するまで続けた。言われたことを素直にしていただけだが、大きな信頼を頂いた。結婚は知り合いの紹介で、少し年上のタクシー運転手と。婚前の約束として「家を建ててから結婚する」と言われ、信用していなかったが本当に建ててくれた。近くに住む主人のお兄さんも良い人で、何かと助けてもらった。何事にもプラス思考で“明日は明日の風が吹く” と、自然体で生活していたからか、お兄さんからも「楽しそうだね」とよく言われた。残念な事に主人は10年前病気で亡くなり、今は一軒家に一人住まい。息子が近くに住んでいて何かと安心だが、歩けなくなると大変なので近所を歩いて足腰を鍛えている。家では部屋の掃除や庭の草抜きをこまめにし、袋などの小物を作って過ごしている。つい最近まで和服の仕立てもしていた。お手伝いさんをしている時、和裁教室に通わせてもらい身につけた。結婚後に仕立ての仕事で貰ったお金は、生活費に入れず、主人や家族と箱根に行く旅費に充てた。母から教わった“背伸びをせず、出来る範囲で生活を楽しむ” 事をいつも心掛け、“自分は自分” と、人を羨ましいと思う事はない。80歳の今思い返してみても、幸せな人生だった。今は自由で、だれにも遠慮せず生活出来るが、今の私があるのは、一人では生きていけない事を自覚し、家族や人との絆を大切にしているからだろう。時々、三重に住んでいる姉や、府中に住んでいる妹と箱根に行く。今月も行くので楽しみにしている。
 様々な人生経験を積んだおかげで、少々の事ではくじけないが、やはり普通の生活が一番。そして、お金より汚いモノは無い。裕福な家に生まれなくて本当によかった。いつだって、自然体で生きていたいから。

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