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七十代のお洒落な方と屋外へ行くと、花を見ては「わー綺麗、この色も綺麗!」、子供や赤ちゃんを見ると「かわいい!」を連発。八十代後半の方は歌が終わると「ジーンとくるわ、幸せよ!」と、お二人とも笑顔笑顔で常に前向きなお言葉が溢れます。風邪も引かれず、4月から殆どお休みもされないで幸せそうに過ごされています。

六十年間、ただひたすらに

 生まれは愛知県豊橋市。両親は農業を営んでいて、広い家に畑が続き、海までは自転車で30 分。子供の頃はよく海岸へ遊びに行った。私は9人兄弟の末娘で、上から3人が兄、次の5人が姉。小さい頃から5人の姉と共に農家や家事の手伝いをしていた。母は良く働き、歌ったり踊ったり楽しい人で、人を楽しませることが大好きだった。戦争中、一番上の兄は「行ってきます」と言って出兵していき、2年後の朝「おはようございます」と家に戻ってくると、普段通りの暮らしに戻っていった。父も少しだけ兵隊へ行ったが、すぐに戻ってきたため食べ物も特に不自由はなかった。戦争も終わり、小学校4年頃から給食が再開されたが、四角いパンと脱脂粉乳だけが出された。脱脂粉乳は口の中がザラザラし、匂いもあったので飲まなかった。残す人も多く、家からお弁当を持参し登校していた。中学校は1教室50 人でワイワイ楽しかった。当時、高校へ進学するのはクラスで2~3人のみ。私は中学を卒業してすぐに、四女の姉が働いていた港区のクリーニング店に就職した。個人の店だったので、すぐアイロン掛けを任されたが、ワイシャツは最初袖だけで、それに合格するとカフスまでの仕事をさせてもらえた。襟は技術がいるので最後までやらせてはもらえなかった。港区だからか、ハンカチをもクリーニングに出す人もいたが、アイロン掛けは意外に難しい。ここで1年ほど働き、別のクリーニング店に移った。そこで将来主人になる人と出会う。そこは主人の兄が経営する店で「お前は俺の弟と結婚しな!」と言われていた。実は主人も7人兄弟の大家族で、人付き合いも良く、やさしいので気に入った。私の母も「ツネちゃん」と呼び大好きだった。そして8年間一緒に仕事をした後、共に24歳で結婚。結婚と同時に今住んでいる府中に移り住み、二人でせっせと貯金していたお金でクリーニング店を開いた。
 開店する時に「悔いの残る仕事はしたくないから、なるべくいい仕事をしていこう」と主人と誓った。価格は「中より上」だったが、「どんなシミでも落としてくれる」と口コミになり、依頼が絶えず夜中まで夫婦二人で仕事をした。食事も別々に時間をずらして摂る事もあるほど忙しかったが、いくら繁盛しても人を何人も雇ったり、二店舗目を出すような事は考えなかった。洋服を洗い、プレスやアイロンを掛け、きれいに包む、そして笑顔でお渡しする。私は持ち前の愛嬌で接客し、主人も技術は勿論の事、接客も上手だった。娘2人をもうけたが、仕事がとにかく忙しくて普段はなかなか構ってあげられないため、時間を作って家族旅行へ行くようにしていた。お盆には家族全員で私の実家へ帰省した。同時に九人兄弟の家族が集まるのだから、多い時には50 人集まることもあった。夜には酒の空き瓶が山となり、ありったけの布団を敷いて雑魚寝した。主人は遠浅の海で網を張って魚を捕る“タテボシ” 漁に参加するのを毎年楽しみにしていた。娘が嫁に行ってからはずっと、毎月のように娘家族が我が家に集い、お寿司や手料理を持参しワイワイお喋りをするようになった。今ではひ孫が3人いて、全員揃うと15 人。昨年、店や住居だった建物を取り壊して余裕のある平屋に建て替えた。そのため、今でこそ余裕もあるが、それまでは狭い居室にギュウギュウ詰めで肩を寄せ合っていた。婿さんたちも皆仲がよく、これがいたって普通だった。新居には中庭もあり、大変快適に生活している。
 6年前の75 歳の時「もう、このへんにしようか、疲れたね」と言ってお店を畳んだ。そして2 年ぐらい前から、使い過ぎのためか足が弱くなり、立っているのが辛くなった。娘が夏・冬用のバッグを手作りで作ってくれ、それを持って1年前から“デイサービスももたろう”へ通うようになった。ここは穏やかで楽しい。デイへ行く日の朝、主人が「トイレは済ましたか?」「忘れ物は無いか?」と、毎回訊いてくれる。絶対に言い返すようなことは言わないし、言い訳も言ったことが無い。女は威張るもんじゃない。主人の言う事に口答えせず、「いつもありがとう」という気持ちでいるので、喧嘩も全く無い。主人は、私がデイに行っている間は出かけて行って麻雀を楽しんでいるが、台所仕事が難しくなった私に代わり、朝・昼・夕の三食全部作ってくれるようになった。仕事を辞めて食事作りに目覚めたのか、楽しんで作ってくれていて、腕も上がっている。ロールキャベツの作り方を娘に聞いて作ったり、魚料理や肉料理も大変美味しい。片付けまでしてくれて本当に幸せ。
 現在81 歳になり、9人いた兄妹も名古屋に住む2番目の姉と私のみになった。今までの人生で嫌な事はひとつもなく、何も悔いはない。困っている事といえば、主人から「シミを付けないように」と言われる。チェーン店ばかりが増えたクリーニング業界に、任せられる職人が居ないのだ。言うまでもなく、洗濯も主人が全てしてくれるのだけれど。

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