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「足の爪を自分では切れないので、皮膚科に行ったが、切ってもらえなかった」という言葉を何度か聞いた事があります。“ももたろう”では、定期的に看護師が足の爪を確認し、ケアしています。巻爪や爪水虫の方が結構多く、ご自分で切るのは難しく、痛いものです。爪のケアひとつで歩行の調子も変わってきますので侮れませんよ。

類は友を呼ぶ

 生まれは、長野市の善光寺の側にある大きな家。道を挟んだ向かいにも一棟あり、6部屋を貸していた。私は1歳年上の姉と、弟を持つ3人兄弟の次女。父は、今の中部電力に勤めていて、度々転勤があり、転勤のたびに家族全員がついていった。小学生時代のほとんどは野尻湖の近くでゆったりと生活した。湖畔には外国人が所有する高級別荘がたくさんあり、毎年夏になると1~2か月ほど来日して、余暇を満喫していく。こうして海外からやってくる白人の子供たちと仲良くなり、夏には一緒になってよく遊んだ。かくれんぼをして遊ぶ時は、トイレの後ろに隠れることが多く、臭かった。そんな時は外国人の子が、当時は珍しい外国製のチューインガムをくれ、臭い匂いをごまかした思い出がある。小学生時代に戦争も経験するが、食べ物に困る事も無く、苦労した記憶は無い。野尻湖は良いところで、大好き。通っていた小学校の同級会も、3年前まで欠かさずに出席していた。高校を出てからは、洋裁学校や編み物学校に通ったが、別に好きな訳ではなく、花嫁修業のためか親から「行きなさい!」と言われたので行っていた。洋服が作れるようになったわけでもなく、授業をさぼっては友達と映画を観たりして遊んでばかりいた、一番楽しかった時代だ。親に申し訳ないと思うのは、大きい編み機は持ち運びが大変だろうと心配した父が、わざわざ折り畳み式の編み機を買ってくれた。それを初日に落として壊してしまった事。

 卒業後もあまり働かずに好きなようにして過ごしていた。上京して巣鴨に住んだ後、神楽坂に家を借りた。神楽坂は、国会の時期になると料亭の前ずらっと黒塗りの車が一晩中停まる、落ち着いた美食の街。今でも『五十番』の肉まんや『五十鈴』の羊羹が好き。場所が気に入り、借りていた家を買い取って一人で住んでいた。結婚は25 歳の時に10 歳年上の社交的な男性と。主人は、近所にある全逓信労働組合の事務所に勤めていて、何度か会ううちに結婚し、神楽坂の家で新婚生活が始まった。子供は男の子1人を授かり、小学校2年生から立教小学校へ行くようになると、大学まで立教に通った。私も一応、料理を作ったり一通りの主婦業はこなしたが、割と自由にさせてもらえた。好きな習い事をして、主人の出張について行っては出張先で観光案内をしてもらった。息子が旅行などで家を空ける時には、私も仲間と外国旅行へ行き、50 か国ほどを旅をした。どこの国が良かったか聞かれるが、どこも良かった。秋葉原にある電気屋さんのオーナーと仲良くなり、その後何度も一緒に海外旅行へ行った。その方が旅行の段取りも全部してくれたので、外国語が話せなくても何も不自由しなかった。今でも親しくしている。

 主人は7年前、90 歳で亡くなった。その後も神楽坂での生活を一人で続けていたが、2年前に息子が住んでいる府中のサービス付き高齢者住宅に転居した。静かで駅に近く、主人のお墓がある明大前や、そこから神楽坂まで1 本で行けて便利が良く、時々洋服を取りに神楽坂へ帰る事もある。今のサ高住に転居してから、昼間何もせずにぼんやりと外を眺めているだけの生活になった。他の入居者ともあまり話をしない。そんな私をお嫁さんが心配してくれ“デイサービス ももたろう” へ行くように手配してくれた。1年半前から利用し、今では月曜日から土曜日まで毎日通っている。ここは本当に楽しく、みんな穏やかでいい人ばかり。昼食もおいしく、太らないか心配になる。“ももたろう” では毎日活動が違い、飽きること無く充実している。特に『絵手紙』は、以前新宿へ習いに通っていたので、出来上がりを先生に褒められると嬉しい。

 現在、息子は三重県に単身赴任している。コロナ禍ではあるが月に一度府中に帰って来くると、私のサ高住にも寄ってくれる。息子は本当によく気が付き、先のことまで考えてくれている。私はのほほんとしているので大変うれしく、頼もしい。通院に付き添ってくれ、色々な食べ物も持って来てくれるお嫁さんにも、いつも感謝している。今は寒いけれど、春になったら姉や弟に会いに長野へ行きたい。二人とも元気に生活しているそうで、春が待ち遠しい。東京に出てきてかれこれ70 年経つが、行く先々で良くしてもらえた事もあり、長野に戻りたい・帰りたいと思う事無く暮らしてこられた。12 月で87 歳になったが、今まで“苦労” したことも“困った” ことも無く、誰かを怒った記憶も無いほど、いつでものほほんと生きている。「人生とは、これでいいものか?」と疑問に思う時もあるが、私の人生に悔いは一つもない。もとから気取らない性格で、誰とでも気安く話せるため、誰とでも仲良くなれる。それが良いのだろう。良い人たちに囲まれ、例え今日“お迎え” が来ても良いと思うほど、楽しくて充実した人生を送っている。これ以上望むものもなく、この生活が続いていけば最高に幸せだ。