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町田の一軒家に一人で住み、民謡の指導に来てくれている75 歳の女性スタッフがいます。9月にコロナ陽性となった際、友人達が食べ物を届け、電話で励ましてくれたそう。心温まる経験から、80 歳になったら家を売って老人ホームへ入る予定は一転。自宅を改装し「おしゃべりカフェ」と「和服リフォーム教室」を開くことに!早速自宅の改装を計画中だそうです。

幸せな人は、忘れっぽい

 6人兄弟の2番目、長女として愛知県額田郡に生まれた。長男の兄は亡くなったが、妹たちは今も元気に愛知県で生活している。父は竹籠作りで生計を立てていて、いつも貧乏していた。勉強は嫌いで、中学校卒業後すぐに織家へ就職した。結婚は妹の紹介で知り合った大工さんと。「家にいても仕方ないから結婚でもしようか」と、軽い気持ちで結婚して東京へ出てきた。府中に40 坪の良い土地が見つかり、夫に「買いたいな」と言うと、夫は夜行列車で実家に帰省し、お金を貰って帰ってきた。「家を建てようかな」と言うと、また夫が実家へ行き、お金を貰って帰ってきた。大工だった夫は好きな間取りを自ら考え、大工仲間たちと一緒に一軒家を建てた。夫は仕事が趣味で、遊びもせずに仕事ばかり打ち込んでいた人。こうして踊り場が二つ、廊下は4 尺ある広々とした家が建った。子供もできたので2階が欲しいと思い「今度こそ自分たちで」と考えていたが、また夫の実家が増築の資金を援助してくれたため、家には全くお金を出さずに済んだ。子供は女の子を2人授かり、東芝などでパートをしながら子育てをした。子育てが終わった50歳頃に、何かのきっかけで登山サークルに入った。そこで山の魅力にどっぷりとハマり、多分『日本100 名山』は全て登った。「明日は天気がいいから槍ヶ岳にいこうか?」と、登山友達と共に活動的に山へ行き、登山の事は何でもやった。夏の期間はずっと山を登り歩き、クライミングにも挑戦した。「冬山もいいよ」と言われると、ピッ
ケルやアイゼンなどの冬装備を整えて意気揚々と赤岳に登ったものだ。いつもだいたい女性3~4人のグループで登山し、練習や準備もしっかりとしていたためケガや事故は起きなかった。

 60 代半ばの頃、長女が幼稚園児の孫を連れて戻ってきた。私たち夫婦と長女・孫の4人で新しい生活が始まった。長女は身体が弱かったので、家事や孫の面倒はほとんど私が見た。そのため山へ行く暇は無く、それこそ怪我をしたら大変な事になるので登山の趣味はきっぱり止め、あまり外出したがらない長女を連れ出して旅行へ行くようになった。そんなある朝のこと、朝起きると長女は既に亡くなっていた。心筋梗塞だった。孫が中学1年生、長女はまだ50歳だった。泣く暇も無く、その後は母親の代わりとして孫を育て、高校進学や大学進学を決める三者面談にも出席した。その孫は現在、近県にある国立大学教育学部の3年生になった。お金は3か月に1回16万円ずつ送っているが、年に数回顔を見せる程度で家には寄り付かない。何も言わずにやりたいことをさせてくれた夫も、14 年前に72 歳で亡くなった。夫が残してくれた家があるので、お金に困ることなく一人で好き勝手に年金生活を営んでいる。“デイサービス ももたろう” へは、今年の9月から通っている。まだ1か月ちょっとだが、大きな声で話ができ大変居心地が良い。当初は行きたくなかったが、次女に説得されて市内のデイサービスを2か所見学した。一方はただ座っているだけで面白くなかったが、“ももたろう” は活気に満ちていた。手先は器用で何でもできるが、音楽がからっきしダメな私は、火曜日の『押絵』・水曜日の『制作・フラダンス』・金曜日の『散策』に参加していて、日替わりで飽きることがない。散策では『郷土の森』によく連れて行ってもらい、いつも色々な花が咲いているので嬉しいし楽しい。人様の事をああだこうだ言うアタマは無いから、誰とでも仲良く楽しく生活している。 “ももたろう” はお昼のお弁当もおいしく、1週間分の栄養を摂っている感覚だ。次女は自転車で15 分の所に住んでいて、毎日電話を掛けてくる。「今日はデイサービスで何をしたの?」と聞かれるが、覚えてはいない。「頭は空っぽのピ―マンで、種も腐っているので、もう忘れた」と答えるが、「幸せ!最高に幸せ」と言うと、次女も「私も幸せ!」と返してくれる。

 もうすぐ85 歳。さすがにもう山へは行けないが、今でも足腰には自信がある。腕の筋力の衰えを感じたため、朝昼晩とダンベル体操もするようになった。“ももたろう” に行かない週4日間、朝、家の周りを散歩し、昼になると府中駅までバスで行って商店をぐるぐると6500 歩は歩き、食べ物を買い込んでくる。そして一人住まいの冷凍庫にぶち込み、肉と魚をよく食べるようにしている。家事も調理から洗濯、散髪まで全部一人でやっているが、週2~3回は娘が掃除を名目に顔を見に来てくれている。皆からは「元気だね」と言われ、内科へ行くと「元気印が来た!」とまで言われる。確かに痛いところはどこもないし、背も曲がっていない。「これから先どうするの?」とよく聞かれるが、もう歳なのでいつ死んでも良いと思っている。このまま一人で生活し、ぽっくり逝きたい。でも、寝たきりになるのは絶対に嫌。一人でダメならヘルパーさんをお願いし、それでもダメなら入所したい。好きなことをやり切った人生。他の欲は、もう全くない。

 『制作』の土曜日に空きが出たら、 “ももたろう” の利用日をもう1日増やしたい。わたしにとって「最高」の場所はここにもあった。これからも通い続けたい。登山の時にいつも着ていた、お気に入りの赤い服を着て。