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「食べ物に気をつけ、散歩もよく しているのに、骨折したのはどう してかしら?」と。確かに、買い 物などの家事中に圧迫骨折をする 女性は多いそうです。私もその話 を聞いて、「骨密度」を測っても らったところ、思ったより良い数 値が出て安心しました。簡単に数 値が出ますので、定期的に測って もらう習慣はいかがですか?
人は変われる、幸せのために。
生まれは中野区。きょうだいは私・妹・弟2人の4人で、今では私一人だけ。中野の記憶は無く、 私が3歳の時に府中へ引っ越してきた。母は専業主婦で、強く厳しい人だった。仕事なのかわからな いが、よく着物を縫っていた。それでも「覚えなくていいよ」と、教えてもらう事も無く、手に職は 何も無い。ハンサムで寡黙、優しかった父は、お巡りさんをしていた。仕事のストレスが多かった為か、 いつもお酒を飲んで帰ってきていて、戦時中もそれは変わらなかった。小学校低学年の頃に迎えた戦争。 父方の実家が農家で、父は自転車を漕いで食べ物を貰いに行っていたため、食料難という事も無く特 別苦労したという思い出はない。八王子への空襲を、避難した家の外から遠目に見ていた記憶がある 程度だ。お巡りさんはストレスだけでなく、転勤も多い仕事だったため、父は戦争が終わってから公 務員試験を受け、東京都地方事務所の公務員になった。転職してから、飲んで帰ることはなくなった。
府中では宮西町の一戸建てに、結婚するまで家族と共に住んでいた。神代高校を卒業後、18 歳か ら実家近くの府中市役所市民課に勤めだした。小ぶりな木造の市庁舎に訪れる市民は多くなく、大 らかで忙しくはなかった。その後、同じ職場で同い年の男性と 24 歳で結婚。実家の前の借家に空き があったので、そこに移り住んだ。男の子を一人もうけた後、30 歳まで市役所勤めを続け、退職。 子供が3歳の時にローンを組んで、多摩川の近くにある現在の家に転居した。息子は一人っ子だが「一 人っ子だから…」と周囲に言われるのが嫌で、息子には厳しく教育した。あまり褒める事もなく、 今思えば愛情の無いような厳しい育て方をしてしまった。
主人はお酒も飲めない真面目な人で、職場へも歩いて通っていた。主人との思い出は、定年退職前 後に二人で色々な所へ旅行した事。旅好きの主人の後を、いつもついて行くだけだが、海外へも行った。 忘れてしまったこともあり、特にどこが良かったとは言えないが、美味しいものを食べるのが好きで、 旅行中は台所仕事もしなくてよいのが嬉しかった。甘いものが好きだった主人は糖尿病を患い、70 歳 の時に亡くなった。大切なものは失って初めてそれに気付くというが、正にその通りだった。
現在は息子夫婦と二世帯住宅に住んでいる。孫2人は消防士と看護師という立派な職に就いて独立 していった。息子夫婦も働いているため、自分の食事は一駅電車に乗り、是政のスーパーへ週に1回 ぐらい買い出しに行っている。主人と似て私も甘いものが好きで、ついお菓子を買い過ぎてしまう。 月に一度は息子が車を出してくれ、息子と二人でいつもは食べられないようなラーメン、餃子、日本 食などを食べて、買物にも連れて行ってくれる。たまに息子夫婦から差し入れも貰っていて、食事の 心配をしなくて良いのは嬉しい。先日足がむくんだ際は、看護師のお嫁さんが診てくれ気遣ってくれた。 飲んでいた薬が原因とのことで、その薬を飲むのをやめると、足のむくみはだいぶ良くなった。
今年の2月から土曜日だけ “ももたろうさん” へ通い始め、5月から “ももたろうさん” に、火・木・ 土曜日の週3回通っている。それまで、週1回ずつ3カ所の通所サービスを利用していた。先に利用 していた2カ所が運動中心の通所サービスだったのを、“ももたろうさん”一本にする事になった。元々、 家から出るのが嫌で、大勢の人との交流も苦手だった私。だからケアマネジャーさんが運動中心の通 所サービスを勧めてくれたのだと思う。もうこの歳になったから、ちっぽけな拘りは捨てた。先が短 いのだから、いつでもオープンでいようと想った。今では素直にスッと自分から輪に入っていけるよ うになり、自分から話し掛けるし、困っている人が居ればそっと手を差し伸べられるようにもなった。 “ももたろうさん” の木曜日は書道の日で、それこそ小学生ぶりで手が震える。漢語が読めないため、 早速本屋さんに行って『漢和辞典』を買ってきた。この歳になって何かを始めるということもなかな か無い事だと思う。デイでない日は、新聞を隅から隅までくまなく読んでいる。父が新聞好きで、小 学校の頃からか父を真似て読んでいた名残だ。政治面も大好き。テレビではニュースを見ている。
最近になってようやく話せるようになったのだが、実は “ももたろうさん” には古い顔見知りの方 が二人いる。ひとりは昔のテニスの仲間。テニスは、中学時代から就職まで続け、その後子供が大き くなってから近くのテニスコートに通っていた。その時代にプレイした方と何十年ぶりに “ももたろ うさん” で再会でき嬉しかった。もう一人は、市役所で働いていた時に同僚だった人。「何となく顔を 覚えている」といった感覚だったが、実に 50 年ぶりの再会。もしかしたら一緒の課で、とても仲良 くしてくださっていた方だったのかもしれない。冗談を言い合える “ももたろうさん” は雰囲気も良く、 皆さんを見ているだけでも楽しい。現在、86 歳。私もだいぶ変わって、何でも許せるようになった。 これからも「このままがよい」と思っている。そんな私の現在に、もう悩みは無い。このままの生活 が続けばそれは幸せだし、例えいつ死んでも、後悔は、無い。