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過ごしやすい日が多くなり、出来るだけ毎日外へ歩きに行っています。遊歩道もすぐの為、ご自分のペースでゆっくりと歩けます。雨の日は室内散歩と階段昇降をしています。いつまでもご自分の足で歩けるよう、皆様で励まし合っています。昼食も美味しく頂け、皆様病気で休まれることは少ないです。現在、90 歳代 11 名、80 歳代 18 名、70 歳代 6 名で、皆さまお元気です。

コラム 磯先生の楽しきかな ~ 絵画鑑賞編 ~

■ 一枚の絵『石割』
 中学時代の教科書に載っていた一枚の絵。それは写実主義の代表的な画家クールベの『石割』でした。名もない石割人夫のひたむきに石割作業へ励む姿に感動を覚えたのです。その後足しげく美術館に通
うようになり、或る日クールベとほぼ同時期の画家アングルの『泉』という作品に出会いました。この絵は裸婦が肩に乗せたツボから床にこぼれ落ちる水のリアルな描写が印象的で、今でもハッキリ覚
えています。もっともこの記憶が鮮明に残っているのは、当日とても素敵な女性と一緒に鑑賞したからに他なりません。それが誰かは、いつの日にか明らかになることでしょう。こうして洋画中心に鑑
賞を進めたのち、日本画そして浮世絵と世界は広がっていくのです。

 日本画では上村松園の『序の舞』、加山又造の『手羽鶴』、伊藤若沖の『動植物採絵』など、浮世絵では葛飾北斎の『富岳三十六景』、安藤広重の『東海道五十三次』などなど何回観ても飽くことのない作品です。

■ 疎水を求めて
 10 代後半から 20 代にかけて下町深川(江東区)に住んだ影響か、流れる水が好きでした。江東区は荒川と隅田川に挟まれ、11 の河川と縦横に走る大小の堀が地理的な特徴の一つです。そこから府中に移り住んでも清水・湧水・疎水のある所が好きでよく巡り歩きました。府中近辺では府中崕線ハケ下の疎水、国立のお鷹の道湧水、小金井の滄浪泉園からはけの小路など。特にお薦めは東久留米の南沢湧水群で、竹林公園から落合川沿いの道を経て豊かな湧水を楽しむというコースです。孟宗竹の風にそよぐ竹の葉の音、そして底まで透き通って見える綺麗な湧水とその水音を聴きながらの散策は心洗われる思いです。

 こうして読書から絵画鑑賞、そして疎水散策とゆるーい趣味をたどってきましたが、一方人との交わりの中で続けてきたものがあります。音楽では小中高と何等かの楽器に携わり、中学のブラスバンドでは多くの中学生とアジア大会会場の国立競技場でマーチを演奏したことは良い思い出の一つです。高校卒業後はブラスバンドのメンバーとバンドを組み、年末年始はダンスパーティーでの演奏を重ねました。頂いたギャラで揃いの舞台用スーツを作る予定が、結局全て飲み代に消えてしまいました。

 また和太鼓に夢中になった時期もありました。この時期所属していたグループが中国オリンピック前年のコンサートに招かれ、一月の寒い北京で数百人規模の観衆の前での演奏は…寒かったです。現在はフルー
トのグループと、篠笛で民謡とジャズのグループに所属し、各種コンサートでの演奏を楽しんでいます。

 ジョギングは 30 代から始め、グループに所属して毎日曜日に多摩川サイクリングロードで 5 ~ 10km走って各種レースにも参加していました。今は走るというより歩くことに精を出しています。因みにハワイでのホノルルマラソン出場が夢でしたが、山梨県の『桃源郷マラソン』20km レースがラストランでした。

 書道も 30 代に筆で年賀状を書きたいとの思いから書道教室の門を叩き、毛筆・硬筆(ボールペン)ともに漢字・かなを習う中で、次第に自分らしい字となり、この間に依頼されて書いてきたものが幾つもあります。小は消防団の名札から封筒の宛名書き、大は運動会の看板からスポーツ大会の横断幕まで大変勉強になりました。

■ 感謝を学ぶ
 こうして様々なジャンルで多くの方のお力を借りて人生を送ってきたことから、自分にできることで多少なりとも世間に恩返しをしたいと思うようになりました。今自宅で開いている書道教室や篠笛教室、各種イベントや高齢者施設での篠笛演奏や書道講師活動などはその一環です。これからもこの感謝の気持ちを忘れず、できる範囲のボランティア活動に携わっていきたいと考えています。