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12 月 10 日(土)10 時半~12 時、本町第1公会堂にてクリスマス会を開催します。是非お誘い合わせのうえ、活気漲る活動の数々をご覧くださいませ。☆11 月26 日(土)に家族会を行いました。6 名のご家族が参加され、立場の違う目線で和気あいあいと、それでいて深いお話が出来ました。自宅での仕事を奪い過ぎていたとの反省もきかれ、今後の在宅生活を充実させる切っ掛けになったのではと思います。
頑張ったからこそ、今がある
私は、九州の宮崎県で生まれた。小学4 年生の頃に何度か空襲にあったが、大きな被害にはならず疎開もしなかった。もっとも被害にあったのは、戦後に上陸した大型台風が直撃した時だった。合掌作りの屋根が強風に煽られて飛んでしまった。仕方なく屋根の無い家の中に、10 畳ぐらいの小屋を作り、家族4人で1年間不自由な生活をした。20 歳半ばの頃、産婦人科の病院で住み込みの仕事に就いた。忙しい仕事だったが、ここの奥さんはお料理上手で、色々教えてもらった。奥さんの煮付けは美味しかった。親戚のツテで同郷の男性とお見合いし、26 歳の時に結婚した。主人の住んでいた東京・蒲田での新婚生活が始まる。“東京” のおしゃれな生活に憧れていたので、胸を躍らせながら上京したのを覚えている。しかし、東京の街はごみごみしており、薄汚れていて、がっかりした。上京後の3年間、大崎電気の大きな工場で、機械の組立をする仕事に就いた。流れ作業の細かい作業だった。しばらくして長男を妊娠。妊娠9カ月になると出産のため、一人夜行寝台電車に乗り、宮崎へ帰省した。当時はまだ新幹線が開通する前で、電車での旅路は時間がかかった。さすがに帰路は飛行機を奮発し、生後1カ月になった長男と2人で乗り込んだが、飛行機の中で泣き続け、ずっと泣き止まなかった。
主人はクレーンの会社に勤めており、勤務先を東京か広島か選べたため、九州へ地理的に近い広島に転勤した。広島での生活は40 年にもなる。家も建て、長女も生まれ、4人で仲良く生活した。42 歳の時、長女が小学1年生になったのを機に、自宅近くの障がい者施設に公務員として就職し、60 歳の定年まで18 年間勤め上げた。この施設は夜勤が週3回あり、仮眠はそう取れなかった。今でこそ夜勤明けは休みが当然だが、当時は夜勤明けの朝も朝礼に参加し、そのまま17 時30 分まで勤務した。この間ずーっと仕事をしていた。夜勤の夜は、主人が子供たちに餃子を買ってきては、焼いて食べさせてくれていた。
家のローンもあり、がむしゃらに働いた。しかし50 代の頃、会社の健康診断で『糖尿病』と診断された。その少し前から、ふわぁーっと気分が悪くなることが度々あった。次第に身体がだるくなり、目も見えづらくなっていった。糖尿病の合併症治療で、血管を広げる手術を4回し、インスリン注射も毎日自分でした。13 種類もの薬を飲み、いつも調子悪かった。それでも、仕事はこれまで通りに続けた。
定年と同時期にローンを完済し、主人と広島の自宅で静かに暮らした。7年前にその主人も亡くなり、一人になった自宅での生活。何件かデイやショートステイも利用していたが、ふわぁーっと気分が悪くなる事が度々あり、何度救急車を呼ぼうとしたことか。一人での生活に不安を感じていた頃、府中に住む娘から「一緒に住まない?遊びにこない?」と誘われ、昨年9 月に再び上京した。東京で糖尿病専門の病院にかかった際、医者の判断で注射を止めた。その日から低血糖も無くなり、元気になった。また広島で一人暮らしがしたい、そう思うようになった矢先の、先月11 月。自宅で足を滑らせ転んでしまった。幸い骨折は無く、打撲で済んだ。それまで家のまわりを散歩するのが日課だったのが、急に怖くなり、以来一人では外出していない。足の動きも急に悪くなり、広島に帰る事は諦めるしかなくなった。今は娘の世話になりながら、現状を維持しつつ、ここで生活したいと思っている。ただ、広島の家をもう一度見てみたい。宮崎に居る長男が時々様子を見てくれているが、やはり一度は帰ってみたい。
“デイサービス ももたろう” には、今年の5月から通っている。「顔色がいいし、お元気そうですね」と言われるが、身体はだるいことが多い。手芸の細かい作業でも、手には痺れがあり、目もよく見えないことがある。それでも、手先を使う作業は大好き。娘が内職(二人でそう呼んでいる)として編み物を持ってきてくれ、デイの午後や家でしている。今までが忙しいばかりの人生で、何かしていないと落ち着かないのかもしれない。
私の自慢は、全部自分の歯で、入れ歯は1本も無いこと。そして、争い事を好まず、だれとでも馴染めること。子供達も立派に育ち、こうして家族と幸せに暮らせている私の人生は、とてもスムーズにいっている。楽しいところにも来られて、本当に今が一番幸せ。現在84 歳。100 歳までこうして生きていけたら――。