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お客様が、ご自宅で読まれた「新潮」「文春」「現代」「スパ」等の週刊誌を毎週持ってきて下さるようになって、もう 1 年程になります。最近は、午後の活動として一生懸命になって読まれる方が増えました。見出しから想像してあれこれお話が弾んだり、「こんなに若い子も裸になるのねー」とか、ゴシップ記事をじっくりと読まれる方も。一番怖いのは、何事にも興味を失うこと。画一的でつまらないデイにならないよう、努力を続けます。

本と共に

 実家は農家で、静岡県の富士山の見える場所だった。小さいころに火事で実家を失い、母を亡くした。同時期に父親とも連絡が取れなくなり、養女に出された。養母を母だと思って育ったが、非常に厳しい人だった。養父母は他に何人も養子をとっており、大家族で生活していた。小学校低学年の頃は、小守がてら赤子をおぶって学校に通った。教室で泣かれると周囲から嫌がられるため、校庭で過ごす時間も長かった。そのうちに学校へ行くことも叶わなくなり、家で毎日毎日子守りや家事、家業の手伝いをした。いつも背中に年下の兄弟をおんぶし、「おしりが腐る」ほど、赤子のおしっこでいつも背中が濡れていた。学校に行きたかった、勉強をしたかった。その反動で本を読むようになったのかもしれない。子供の頃から本が大好きだった。
 年齢で言うと小学校卒業の頃だろうか、愛知県の紡績工場へ住み込みで働くようになった。寝るとき以外は、くる日もくる日も織物を織る仕事。休み時間もろくになく、お昼は15 分間。どんぶりご飯をかき込むと、すぐに仕事へ戻った。広くもない寮の部屋に十人程が寝起きし、昼夜誰かしらが仕事へ行っていた。休日は月に1日だけあったが、遊びにも行かずに寝て過ごしていた。一番の楽しみは、本を読むこと。会社の人が置いてくれた本や、祭りの時に買ってきた本だ。夜、布団の中で本を読む時間が、一番楽しい時間だった。家には年2回帰ったが、誰も相手にしてくれず面白くもなかった。お給料はほとんどが仕送りで消え、残ったわずかなお金は、盗まれないよう肌身離さず持っていた。楽し思い出は無く、青春など全く知らなかった。でも、これが当たり前の暮らしだと思い、疑問は感じなかった。結核に悩まされながらも、そんな生活が10 年以上続いた。
 結婚は二十代後半の時。主人は6 歳年下で一人っ子の、大人しい人だった。府中で農家をしており、私も仕事を手伝ったが、生活は楽にならなかった。生活費の足しにするために、生保レディや工場などでずっと働き続け、家に帰ると毛糸の編み物をした。今着ているセーター類は、全て手編みしたもの。家族の時間が余りとれなかったこともあり、私とひとり息子は本が好きでよく読んでいた。主人は本を全く読まず、酒を飲み、いつもテレビを観ていた。主人との思い出は特に無い。仕事仲間と旅行には何度か行ったが、家族で旅行に行った思い出は無い。息子は結婚し、しばらく今の家で一緒に住んでいたが、独立していった。
 私の人生をひとことで表すと「ただ生きていただけ」。それでも、本で旅をした。本で知らない世界を冒険した。本が、私の人生に彩を与えてくれた。どんな本でもいい。読んでいる時間が、一番の幸せ。

 自宅の二階にはミニ図書館ができるほどの本がきれいに整頓されている。「哲学」の本のシリーズや「松本清張」シリーズ、両方とも硬いブックボックスに入った本が20冊ずつ。柔らかい本は、「365日の献立」から「嫁と姑がうまく付きあう」「ケチと呼ばれないケチ入門」「酢の効用」等々。日本や外国の旅行ガイド、探偵ものの江戸川乱歩や、邦光史郎・水木しげる・藤本義一…。枕元にも今読んでいる数冊の本が置かれ、「この頃、読まなくなったわよ」と笑いながらも、傍にはメガネがきちんと置いてある。現在95 歳で独居。寂しさはあれど、本と共に過ごす、自宅での日々を大切にされている。