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3月29日(木)夜、誕生会をしました。該当する13 名全員がご参加下さり、非日常の夜会を楽しまれました。4 月17 日(火)は家族会を開催します。集合は第三小正門前に13 時半です。徒歩1分の所にある、ゆったりとした素敵なお家でお話しましょう。話し合いで急に何かが改善する訳ではありませんが、心の余裕やヒントが生まれるものです。
「ありがとう」の言葉に乗せて
「ありがとう」この言葉が大好き。兄弟にも親にも周りの人達にも、口癖のように言っていた。八百屋さんに「ありがとう」と言うと「どうもー」と、嬉しそうに笑顔で応えてくれる。それを見るとこちらも嬉しい。
生まれは、東京の市ヶ谷。皇居外堀のすぐ近くに自宅があり、父はトラックの運送業を経営していて十数台のトラックを所有していた。女学校時代に戦争が激化し、多くの近隣住人が疎開していった。父は横須賀海軍省の仕事を引き受けていたため、我が家は疎開しなかった。度重なる空襲の際も「死ぬときは一緒に死のう」と、家族で荷物を纏め、外堀近くの草むらに身を隠して過ごした。東京大空襲の夜も、家族と夜を明かした。朝には思い出すのも辛い光景が広がっていたが、家族と家は無事だった。女学校時代は学徒動員でほとんど勉強できなかった。私たちは客席の取り外された宝塚劇場に通い、和紙で出来た巨大な風船を作っていた。全高は6 階の高さを超えるその風船を、当時何に使うのかも教えてもらえなかった。アメリカ本土を狙う風船爆弾だった――。米軍もそれを察知してか、度々空襲を受けた。電車が動かない日は米軍機の機銃掃射に怯えながら、徒歩で宝塚劇場に通っていた。女学校を卒業すると、大妻女子大学に入学した。「女はお裁縫ができないと」と、いつも言っていた父。卒業後は大妻女子大学で和栽を教えた。しかし、人に教えるほど上手でもないし、父が「教師を続けると可愛げが無くなる」との考えで、教師は2年で辞めた。その後は父の会社の事務仕事を手伝った。
女学校時代から家元で琴を習い始め、そこに通っていた2歳年下の男性が後に主人となる人だ。主人は尺八を習い、私は琴を習っていた。知り合って何年か経ち、私が30 歳の時に結婚。主人は尺八の天才と呼ばれるほど上手になり、尺八の先生をしながらオーナーシェフとしてレストランを経営していた。夫婦で演奏会に出してもらう事も多く、楽しい時間を過ごした。都心での生活が原因か、私の喘息が悪くなった為、都心を離れて世田谷、そして9年前府中に引っ越してきた。喘息が無ければ府中に住むことも無かっただろう。今の家を建てる時、2階へ上がるのが大変になった時に備えて、椅子式の昇降機を設置してくれた。当時は必要性を感じなかったが、今は寝起きしている2階への移動で大変助かっている。
昨年12月、前日まで元気に仕事していた主人が急に倒れ、一度は意識を取り戻すも、またすぐに倒れた。息子が救急車を呼んで病院に連れて行ったが、脳梗塞のため一週間しないうちに亡くなった。葬儀やお墓の手配が大変で大変で、文字通り目の前が真っ白になった。葬儀がひと段落した後、今度は急速に私の体調が悪くなった。転ぶことも多くなり、週2回転んだこともあった。息子が言うには「何から何まで父親に頼っていたからでは」と。確かに、料理が好きではない私のために、毎日料理をしてくれていた。「真面目」「優しい」「静か」な人で、誰にでも好かれる“ものすごく良い人” を失ったショックはあまりに大きい。同居する息子から「昼間にお母さんを一人置いて出掛けるのは心配だ」と言われ、今年の3月より“デイサービスももたろう” に通っている。毎日のように主人の尺八に合わせて琴の練習をしていたが、主人が家からいなくなったあの日から、琴を触らない日が続いた。「もう弾かないから」と、お世話になっている業者に4面の琴を全部処分してほしいと頼んだが、なだめられた。
現在89歳。デイサービスは初めてで、どの活動にしようか迷った。洋裁や和裁を学校で教えていたので、『押絵』にしようか、趣味は三味線や琴なので、歌の日も良いな。結局、『民謡』『押絵』『レク体操』のある火・水・土曜日に。見学の時、皆さんが民謡を楽しそうに歌っていたのですぐに気に入った。そうは言っても最初のうちは“休みたい”“辞めたい”と思う事もあったが、今は友人も沢山出来、毎回楽しく通っている。息子は「体のためにも毎日行っても良いよ」と言ってくれているが、家やセキセイインコの“花ちゃん” の事が心配。“花ちゃん” はお話が大好きで、手のひらに乗せて毎日毎日お話を聞かせているうちに覚えた民話が『ももたろう』。「むかしむかし、あるところに~」と上手にお喋りする。これも何かのご縁なのかもしれない。
今までは、週1回美容室で髪を洗って貰っていたが、今は“ももたろう” でお風呂に入れてもらっている。他人に裸を見せたり、洗ってもらうのは恥ずかしいけれど「みんな付いているものは同じ。大丈夫、誰にも言わないから」と言われしぶしぶ入ったら、とても気持ちが良かった。髪の毛から足の先まで綺麗に洗ってもらい、足に出来たウオノメも看護士さんが処置してくれる。今の生活を色々な方々が支えて下さっていることに、感謝。最近は少しずつ琴を弾くようになり、“ももたろう” の所長さんからクリスマス会での演奏を頼まれた。今後は昔のように楽しみをもって琴を弾けるようになりたいと思っている。ありがとう。