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毎月握力検査をしています。「なぜ握力検査?」と思われますが、握力が弱い人は、様々な病気のリスクが高いと言われていて「全身の筋肉を知るバロメーター」なのです。デイでは筋肉を鍛えるために、スクワット・膝伸ばし・踵落としを毎日行っています。85 歳以上の方の平均は14kg ですが、一番の方は19kg で91 歳!大変お元気です。

富山で芽生え、東京に咲く

 生まれは富山県越中八尾町、川と山に挟まれた坂が多い小さな町。実家はお菓子の仲卸しを営み、上に3人の兄と父母との6人家族。一番上の兄とは16 歳離れた、長女として生まれる。一番下とはいえ女の子だったため、小学生の時から洗濯やら、その他の家事を引き受けていた。母に似て体が小さく、引っ込み思案で消極的、いつも人の影に隠れているような性格だった。父は問屋業のため行商のように外へ出ている事が多く、母が店番をしていた。そんなに儲かる仕事でもないので、どちらかと言えば貧乏な暮らしだった。しかし、父はお酒が大好きで、よく呑み歩いて帰ってきたため、両親の口喧嘩は絶えなかった。私が中学1年生の時に、長男は父の紹介で近所のお嫁さんを貰い、お嫁さんが嫁いできた。長男も気が弱く真面目な性格だが、お嫁さんは気が強く負けず嫌いなうえ、些細な事でも顔に出していた。狭い家なのに、両親の喧嘩に加えて嫁姑の揉め事まで加わり、家の雰囲気は一層暗くなっていった。母は小学校しか出ておらず、幼い頃から繊維会社へ住み込みで働いていたという。口癖のように、「女も資格を持つなりして、自活できるようにならないと駄目だ」と言っていた。この生活を抜け出そうにも、お金が無ければどうにもならないからだ。そんな母の期待を受け、高校は県内有数の進学校に進んだ。“喧嘩の絶えない、暗い生活から早く抜け出したい”という気持ちは強く「先生になりたい」とでも言えば外へ出してくれるのではないかと考えた。結果的に遠く離れた東京の大学へ進学する事ができ、高田馬場にある下宿部屋に越してきた。

 3畳の狭い部屋に、同じく地方から出てきた女子大生4人で寝泊まりする濃密な生活が始まった。それでも田舎のように深く干渉される事の無い暮らしは快適で、この共同生活で段々と消極的な性格も治っていった。大学ではバトミントン部に入ると大変美人で長身な友人もでき、それは楽しい大学生活を送る。母も仕送りをして応援してくれたが、大学2年の夏休みは自由が丘の洋品店でアルバイトもした。おしゃれなバイト仲間とジャズの生演奏が聴けるレストランへ食事に出かけた際、そこで主人になる人と出会った。サークルの仲間と食事に来ていた主人は、四国から出てきた1年上の大学生。何でも話せる優しい人で、偶然が重なりお付き合いが始まった。私は教育課程を専攻し、中学校での教育実習もした。しかし体が小さく、自信がない。男子中学生の体格や態度に圧倒されて“私は教師に向いてない” ことが分かったが、田舎には絶対帰りたくない。卒業と同時に、空きが出たという大学の事務局にそのままに就職し、4年くらい務めた。仕事で多忙を極める主人とは25歳の時に結婚し、長男が産まれた。東村山でのアパート暮らしは、誰にでも積極的に話しかけるようになった性格が功を奏し、近所のママ友とは家族ぐるみでハイキングや旅行を楽しみながら、楽しく子育てをした。2人目の子がお腹にいた40 数年前、50 倍の倍率を射止めて府中の車返し団地に引っ越してきた。主人が見晴らしの良さで選んだ車返し団地は、エレベーターの無い5階。時が経ち、60 歳の時に四国で一人暮らしをしていた姑を引き取ったが、さすがに5階では困るため、近くの庭付きマンションに引っ越した。仕事やダンスサークルなどの活動でいくつもの文化センターを行き来していたので、電動自転車を買うと日用品から園芸用品まで何でも運んだ。電動自転車で姑の昼食を作りに家へ飛んで帰っていたが、そのうち姑はデイサービスに通うようになる。数年後には5分おきにトイレへの介助を求めるようになったため、夜中も側で寝るようになった。その後は胃ろうになり施設へ入り、東京に迎えてから9 年後の92 歳で息を引き取った。

 70 歳の初夏に、仲の良いご近所さんとマンションの草取りをしていた。そろそろ片付けようと思い立ち上がろうとするが立ち上がれず、そのままヘナヘナと倒れ込んでしまった。すぐに救急車を呼んでくれ、診断は“くも膜下出血”。すぐに開頭手術を受け、入院中に左脳にも動脈瘤がみつかったため左脳の開頭手術も受けた。CT を撮ると右脳全体が白く映るそうだが、すぐに手術を受けられたのが幸いし、リハビリを経て日常を取り戻す事ができた。偶然、次男の同級生のお母さんがリハビリを担当してくれ、とても良くしてもらった。退院してすぐは物も持てず、言葉も出にくかったが、リハビリを頑張り今では左手がしびれるものの、布団の上げ下ろしもできるようになった。しかし、左側の視野が狭いため何かに気が付くのも遅く、よく左半身をぶつける。左側の視野はフワフワしていて、夢を見ている感じ。ゆっくりなら歩けるが、小さな段差で転んで骨折し、救急搬送されたこともあるため、外に出るときはいつも主人と一緒。あれだけ乗っていた電動自転車にも乗れなくなった。主人は買い出し、料理から洗濯、トイレ掃除まで家事全部を仕事のように完璧にこなしてくれる。最近は私もカレーなどを一緒に作るようになったが、長くは立っていられず、包丁を持つのも怖い。さすがの主人も疲れている感じで、申し訳ない気持ちでいっぱいだ。現在“ももたろう” に週1回、他のデイに週2回通っている。大好きな『押絵』ではハサミも使うが、皆さんと一緒に出来ているのが嬉しい。デイに行かない日は横になっていることも多いが、両親や、葬式に行けなかった兄弟が眠る田舎の墓参りに一度は行きたい。そして、主人を少し休ませてあげたい。現在74 歳、主人は75 歳になる。東京で数多くの人たちと知り合い、助けてもらった。母が期待し、応援してくれた事に何も応えられなかったのは心残りだが、せめて夫婦仲良く、互いに支え合って生きていこうと思っている。

 夢は、もう一度、ダンスサークルでフラダンスを踊ること。