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自粛されていたボランティアの方々が10 月から又来て下さいます。オカリナ、フラダンス、詩吟、ギターなどなど!書道の磯先生は、篠笛のボランティアとしても来て下さっています。まだまだボランティアを募集しています。午後、利用者様のお話を聞いて下さる“傾聴ボランティア” の方も探しています。ぜひ、よろしくお願いいたします。

見つけた、私の新しい居場所

 生まれは石川県金沢市。兼六園に近く、買い物には兼六園の中を横切って行った思い出がある。兄弟は男2人、女2人の4人で、私が1番上。残念ながら、妹は早くに亡くなった。実家は、祖父の代に購入したという、旅館に使っていた建物。二階には客室が5部屋あり、すぐ近くの金沢大学の医学生を下宿させていた。その学生達と一緒に食事もしたが、他人が家に出入りするのを良くは思わなかった。父は公務員で、郵便局長をしていた優しい人。母は専業主婦だったが、ひとり娘のやや口うるさい性格。和裁の仕立てができたので、時々しているのを横で見ていた思い出がある。

 高校を卒業すると、市内の繊維会社に事務職として3年間勤めた。結婚は21 歳の時にお見合いで知り合った同じ金沢の5歳年上の人と。主人は昔からあまり口数の多い方ではなかった。結婚してすぐに上京し、府中市北山町のアパートへ移り住んだ。東京は高校の修学旅行で来た以来で、もっと便利かと思ったけど、金沢の方がよっぽど便利。間を置かずに長男が生まれ、近所のお母さんたちと仲良くなった。子供は男の子と女の子を授かり、娘のワンピースは私が縫って作った。学校は地元の七小・七中へ通わせた。主人の姉も東京に住んでいて、何かと世話好きで大変教育熱心な人だった。お子さん二人とも東大へ行き優秀な成績だったそうで、男の子は弁護士、女の子はお医者さんになった。だから、私の長男が東大には行かないと言うと、どうして東大に行かせないのかと色々言われた。主人は、自動車会社に勤め、札幌や新潟、山梨と単身赴任を繰り返していた。月に1 回は妻が単身赴任先に通うための旅費が会社から出たため、私も赴任地に毎月通っては家事をしていた。主人も会議などで度々東京に戻ってきていたが、家族が揃う時間は少なかった。子供達の手が離れた頃、東芝府中工場でパートを始めた。設計課に回され、優秀な人に囲まれながら設計や開発の補助業務をこなし、楽しかった。その後、四谷に土地を買い、家を建てた。主人が定年を迎えると、ようやく落ち着いて一緒に住めるようになった。しかし、単身赴任中の不規則な食事や大好きだったお酒が祟ったのだろう。定年を迎えた僅か1年後、61歳であっけなく亡くなってしまった。その時、私は56 歳。幼稚園の先生をしていた長女としばらく一緒に住み、長女は結婚した後も近くに住んでくれて、何かと気にかけてくれた。長女は小さい頃からとても優しい。

 30 代の頃から矢崎町にあった勤労福祉センターで水泳を始め、センター閉鎖後は、浅間町の生涯学習センターへ電車とバスを乗り継いで通った。クロールからバタフライ・平泳ぎ・背泳ぎができ、毎回1000m位泳いでいた。その他にも中河原の女性センターでパソコンを習い、コーラスにも通っていた。しかし、新型コロナウイルスの影響で、教室は軒並み閉鎖になり行かれなくなった。急な手持ち無沙汰もあり、中河原のライフへ毎日のように自転車で買物へ行っては、冷蔵庫に入りきらないほどの果物を買ってきて、好きなように食べていた。元から甘いものが大好きで、体の調子が悪くなるのに時間は掛からなかった。体重の増加と共に忘れっぽくなり、糖尿病と診断された。掛かりつけのお医者様からは「デイサービスに行った方がいい」との助言あり、今年の6月下旬より“デイサービス ももたろう” に通っている。最初は行きたくなかったが、横浜に住む長男が「ホームページを見ると、お母さんに合うと思うよ」と、渋る私の背中を押してくれた。偶然、パソコン教室で一緒だった方と木曜日の習字で再会し、懐かしく嬉しかった。同じ世代の方と話ができるのも楽しい。ちょっと前の事もすぐに忘れてしまうので、押絵などの制作ができるか心配であったが、教えてもらいながら作品を作れていて、楽しい。指導者の太田先生は、「3か月たった今、手順や作り方を理解され、1回聞けばできるようになり、出来上がりは丁寧で綺麗」と。今は、フクロウを作っている。家では細かい事をしないので最初は大変だったが、出来上がれば嬉しい。でも、すぐに何もかも忘れてしまうので「本当に私が作ったのかしら」とよく言っているらしい。

 現在82 歳。デイでは、「ヤング」だと言われている。四谷の一軒家に一人で住み、家事も自分でこなしていて、買物も自転車を押しながら一人で行けている。たまに娘の家で食事をするが、それ以外は調理もする。新聞と週刊誌をとり、「天声人語」を声に出して読むこともある。長い間水泳を続けた成果なのか、体力測定では一番握力が有るらしい。今は、水・木・土の週3日デイに通っている。家に居ると誰とも話をしないし、ぼんやりして過ごすよりは、デイへ行くようになって本当に良かったと思っている。自然と体を動かす機会もあり、大好きだった果物もあまり食べなくなった。体調もよくなり、だいぶ楽になった。体重は減り、糖尿病の薬も無くなった。“ももたろう” で取り戻した健康的な生活。これからも“ももたろう” に通いながら健康的に過ごし、子供たちに迷惑を掛けないように暮らせたらと願っている。