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8日は小学校の入学式でした。スタッ フのお子さん2人が新入生で、顔 を見せに来てくれました。利用者 様から「可愛いわね、可愛いわね」 と言われ二人とも嬉しそうでし た。「可愛い」「楽しい」「うれしい」 「幸せ」の言葉がももたろうでよ く聞かれます。聞いていて幸せな 気分にる、良い言葉をいつも使う デイでありたいと感じました。

妻と百まで。

 生まれは岩手県胆沢郡。野球の大谷選手はすぐ隣の市である奥州市で生まれ育ち、家も何キロと離 れていない。父は明治生まれで横須賀の海軍に従事し、皇族の卒業記念に企画された世界一周の船に 乗り込み、石炭で蒸気船を走らせ世界一周を安全に達成したそうだ。時は日露戦争後の平和な時代。 皇族と共に世界を見てきた父、後年上京して東京の街を連れて歩くと「ロンドンでは・・・」「パリで は・・」と饒舌に話していた。父は海軍を引退してから岩手で小作人として農業をはじめた。優しく てお酒も飲まないなかったが、キセルたばこを良く吸っていた。そのせいもあってか、のちに脳梗塞 で倒れた。母は農家に生まれた優しい人だった。私は7人兄妹の三男坊。長男は学徒動員で東京の羽 田にあった石井鉄工所へ行った。旧制中学の勉強をさせてくれるという事で、仕事をしながら勉強が できたそうだ。戦時中に次男は松島航空隊で戦闘機の整備を担当した。景勝地のため酷い空襲は受け なかったそうで、終戦を迎えると麻袋に余った配給品なのか、食べ物をいっぱい持ち帰ってくれた。 その後、北海道へ開拓者として渡り、そこで生活の基盤を強固なものにしていった。4男は真面目な 性格で、大学へアルバイトとして入り、後に理事長まで登り詰めた。酒もタバコもやらないが、コー ラが大好きで家に空き瓶がゴロゴロしていた。現在は国分寺に住んでいる。

 私は実家から遠くない黒沢尻工業高校へ進学し、工業科で学んだ。ラグビーが強い高校だったが、通 学の関係で寮に入らないと入部できず、お金の無い我が家にはとうてい無理だった。後に妻となる女性 とはこの高校で知り合った。入学翌年に新設された普通科へ進学してきた彼女は、放送部のアナウン サーになり、私は放送機器の修繕や、使い方を教えた。高校卒業後は、上京して岩﨑通信機という会社 に先生の縁で入社。叔父の家が船橋あったので、そこから1時間半かけて久我山の会社まで通う日々。 8時の始業に一度も遅刻せず、無遅刻無欠勤で皆勤賞を貰った。この会社は、黒電話・印刷機・コンピュー タ部もあった。技術職として就職し、2~3年で品質管理部門へ。人当たりを買われたのか技術営業を 任されると、仙台の営業所に駐在して東北六県を回ようになった。主に技術系の大学を回って営業し、 他社の商品も紹介していたので、お客さんには喜ばれた。岩手の実家にもちょくちょく寄り、妻の実家 がやっていた食堂でよく食事をしていたのが縁で、25 歳と 24 歳の時に結婚した。その後 60 歳定年ま で勤め上げ、ご縁のあった会社に再就職し 82 歳まで仕事をした。妻は専業主婦だったが、ボランティ アなどをして毎日充実していた。府中には昭和の時代に 20 坪の土地を買って家を建て、今も妻と二人 で住んでいる。子供は、男の子1人・女の子2人に恵まれた。私は小さい頃から走るのが大好きで、小・中・ 高はもとより、社会人になっても短距離を走るグループに入って走っていた。100m は 13 秒 8。働き 盛りの頃はボランティアで子供たちにサッカーも教えていた。良い遺伝子は異性の子供に出ると言われ るが、2人の女の子は共に体育大学を出た。長女はハンドボールの選手になって国体へ出場し、次女は 今も中学校の体育教師をしている。現在長女は介護施設に勤めているため、情報が豊かで週1回来てく れて通院等に付き添ってくれている。次女は近所に住んでいて何かと面倒を見てくれている。

 現在 91 歳。営業職の関係でお客さんとカラオケにもよく通ったため、歌も好きで特に民謡が好き。 家では日経新聞をとっていて毎日読んでいる。字が細かく印刷が薄いのが難点。外出といえば買い物 へ3日に1回、近くの西友へ行っては牛乳や野菜類を買ってきている。妻は料理が上手だったが、火 の使用が難しくなったため私が煮物などを毎日調理している。娘たちがいろいろしてくれているため、 今も夫婦二人での生活が続けられている。娘からすると私と同じ年の義理の母に不幸があったことも あり、一人での入浴や外出は止められている。娘が来ている時に入浴するようになり、玄関には外出 しないようにと貼り紙まで貼ってある。入院を契機に次女からデイサービスの利用を勧められ、最初 は近所の大きなデイを見に行った。ところが、どうにも合わなかった。そこで提案されたのが、妻の通っ ている “デイサービス ももたろう” だった。黒一点だが、むしろその方が気楽でいい。週1日通うよ うになって1か月になり、お風呂にも入れてもらっている。ここはこぢんまりしているが、良い人ば かりで居心地も良い。妻は4年以上 “ももたろう” を利用し、今も週4日通っている。こうして通って いなければ、妻はきっと寝たきりになっていたと思うと、とてもありがたい存在だ。私もデイに行かなければ、テレビをつけながら新聞を眺めて過ごす日々だったと思う。 これからの望みは、二人とも 100 歳まで元気に頑張れたら、と想っている。良い所があっ て、本当によかった。娘たちの存在もあって、今はとても幸せに暮らせている。