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暑い暑い7・8月が終わり、9月に入ってもまだまだ猛暑が続いています。今までは午後に遊歩道を散歩していただくのが日課でしたが、今年は熱中症予防で屋内を200m 歩いていただいています。「姿勢よく歩いているよ」「両手を振って歩くと気持ちがいいね」と、お話ししながら楽しそうに歩かれ、初めはすぐに「疲れた」と言われた方もスムーズに歩かれるようになっています。

楽しみかたは無限大

 私は15 年前から月に1回、“デイサービス ももたろう” で絵手紙を教えている。絵手紙は、ももたろう創業間もなくから続いている活動で、前任者が3年ほど務めた後にお鉢が回ってきた。そもそものきっかけは、私が参加している絵手紙の会に、所長から講師派遣を依頼する連絡が入った事。ももたろうは当初から“押絵” を中心に“水切り絵”、“習字”、“三味線演奏” など様々な活動が行われおり、「絵手紙も」と所長が考えたのだろう。月に一度の訪問ではあるが、長年の歩み見てきた私は「ももたろうの生き字引」のような存在と自負している。絵手紙に見本は無く、自分で構図を考え、下書き無しの一発勝負で描くもの。季節の一文も添えて、描いたらすぐ投函することが基本。誰も出す人が居なかったら、自分に出す。描いて描いて上手くなるものだが、そもそも「下手でいい」。たまにケアマネジャーさん宛てに投函してくれるが、いつも会っている人も貰って嬉しいものだから、できれば毎月投函してほしいと思っている。

 もともと手紙を書くのが好きだったこともあり、私も多い時には年間100枚は描いていた。私の趣味は、絵手紙の他に、旅行と「乗り鉄」。つい最近も、金沢から敦賀までの延伸した北陸新幹線に乗りに、大宮から敦賀まで新幹線で行って、帰りは米原まで各駅停車で。その後は、新幹線で名古屋を経由し東京に帰ってきた。1泊してもいいが、時間がもったいないので大抵日帰り旅だ。これでJR が現在運行している全路線に乗った事になる。私は「乗り鉄」だが、もともと旅行が好きで移動の手段として新幹線はじめ地方を走るローカル線などにもよく乗ってきた。旅行とは違い、「乗り鉄」は電車に乗る事が目的なので、終着駅につくとすぐに引き返すことが多い。鉄道愛好家にも色々あって「乗り鉄」以外に「撮り鉄」「音鉄」「降り鉄」「呑み鉄」なんていうのもある。「呑み鉄」はクーラーボックスでお酒を持ち込み、電車に揺られながらお酒を呑み、駅弁でもつまむ趣味の事。時刻表の愛読者もかなりいる。

 10 年ほど前の旅行で新潟から飯山線での帰路にて、熱心に時刻表を見ている六十代前半とぼしき女性に出会った。困っているのかなと思いこちらから話しかけたところ、埼玉県所沢在住の鉄道が大好きな主婦の方だった。定年退職されてから全国あちこち乗りに行き、加えてお城巡りを楽しまれているそう。駅弁も好きで、食べた後の包装紙を綴じたファイルを持ち歩いているほどだった。それまで出会った「乗り鉄」は圧倒的に男性が多く、女性で主婦という方は初めてだった。私は、この時点でJR 全線の半分以上は乗っていたが、完全乗車を目指していたわけではなかった。この出会いがきっかけで火がついた。初めは主人と一緒に乗りに行っていたが、段々一人で行くようになった。行きは車窓から景色を見て楽しみ、引き返しの時は、本を読んだり、寝たりして過ごす。今まで乗った路線は、路線図にマーカーで色を塗っている。ガーラ湯沢駅はスキーシーズンだけの運行で、スキーもせずに行くのはあんただけだと笑われた。茨城県の鹿島サッカースタジアム駅は、サッカーの開催日のみ運行の為、タイミングを合わせる必要があった。計画を立てている時が一番楽しく、いかに安く効率的に周れるかを考える。今はスマホで簡単に調べられる時代だが、あえて紙の時刻表とにらめっこして調べるのが脳トレになって良い。北海道や四国、九州などはLCC の飛行機とホテルを予約してから、どう周るかを考える。旅先では、「乗り鉄」の学生に話しかけて刺激を貰っている。『青春18 きっぷ』を利用し、5日間で日本縦断している学生にも出会った。正直に言うと、日本は日本中どこへ行っても同じで特に感動もない。ではなぜ全国制覇を目指したのか。それは冬の備えで、容器いっぱいになるまで食料を蓄えた昔からの日本人の習性のようなものだろう。特に日本人にはきっちりと全部集めないと気が済まない傾向が強いと聞いた。

 もとから旅行が好きで30 ~ 40 代は「旅行しながら仕事をしていた」。勤めていたのは東京駅から徒歩圏内の広告代理店。経理で割と自由な会社だったこともあり、10 時の始業に合わせて旅行から帰ってくることもよくあった。私が若い頃は、60 歳になったら「それで終わり」という時代だった。だったら60 歳まで働かず、早めに仕事を辞めて自由な時間を作りたいと思い、50 歳で早期退職した。それから20 年、「乗り鉄が人生」と言えるような生活をしてきた。めでたく全国制覇を達成したため、シルバー人材センターの紹介で夕方から夜にかけて週3回仕事をするようになった。実に20 年ぶりの仕事で、後期高齢者になるまでは続けた。その後には、いくつかやりたいことを用意している。桜前線や紅葉前線と共に旅館を転々と泊まり、上げ膳据え膳の安楽な日本縦断をしてみたい。また、全国にいくつか拠点をつくり、それぞれ一番良い季節を過ごすこともしたい。そんな事をしながら、お金は自分ために残さず使い切りたい。この日本、どこで死んでも恥ずかしくないのだから、ポジティブに生きようと思う。そして、最後まで自分の好きな事を一つ諦めないで続けたい。私の場合は自分の歯でおいしいものを食べ続けたい、そう願っている。