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10 月から浅間中学校の男子生徒4名が職場体験学習として3日間来てくれています。中学生と会話をする機会はほとんどなかったので、皆様「可愛いわね」と口々に笑顔で接して下さいます。その後は、電通大の学生が5日間。東京芸術大の学生が5日間、それぞれ実習に来る予定です。若い人たちと会話等をするのは、色々な意味で刺激になると期待しています。
自然体で生きる
生まれは、新潟県長岡市。新潟県民は真面目で働き者と言われ、田中角栄・上杉謙信を輩出した。親戚の人たちも真 面目で、私も真面目。一人目の長男として生まれるも、私が0歳の時に両親が離婚。母に引き取られて4歳まで長岡で生活し、再婚した父の仕事の関係で東京に越してきた。4歳の時に妹が産まれ、二人兄妹になった。父は大手建築会社の現場監督をしていて、工事中の現場によく連れて行ってくれた。誰もいない、がらんとした大空間が面白かった。オフィスビルの普段は入れない30 階の屋上へ行ったのも楽しかった。小学校時代は図工が好きで、木材をボンドなどで組み立て、周りの友達が作らないような独創的な作品を作った。絵画も区の展覧会に出品された。また、小学校から剣道や柔道、水泳にも取り組み、割と活発な性格だった。高校2年生の夏、母に病気が見つかった。肺がんで、余命1年の宣告を受ける。宣告通り翌年の夏に母は息を引き取った。父は涙も見せず、弱音や愚痴も言わずに、今までと変わらず私たち兄妹を育ててくれた。大学は、高校の時に生物が好きで、動物も好きだったため日大の畜産学科に入り、一人暮らしをはじめた。最初のうちは動物園に勤める淡い希望を持っていたが、まわりはガチ勢ばかりで早々に断念した。大学3年の頃に5泊6日で香川県にある日本ドルフィンセンターへ実習に行き、障がいのある方へのアニマルセラピーをお手伝させてもらった。その他に、在学中は趣味の中型バイクで箱根・小田原・江の島などへツーリングに行った。一番の思い出は、ひとりで行った北海道。初日からバイクが故障して動かなくなり、夜中にレッカー車が来るまで近隣の方がお茶を出してくれたりした。修理が済んでまた走り出した後も、再度故障してしまうなど大変だったが、旅先で出会った方の家に泊まらせて貰ったりもして、困った時だからこそ人のやさしさが身に染みた。人と人とのふれあいに温かさや、力強さを感じた。
就職活動は幅広い職種にエントリーした。最終的には、友人の勧めで利用した就職仲介会社に紹介された宅配食品会社に就職した。そこは、合成添加物を入れないレトルトの惣菜や野菜、ドレッシング等の食品を取り扱っており、市場の2倍ほど高額だったが、安全と美味しさを追求したのが支持されていた。食べるのが好きで、会社説明会で出された自社商品がおいしかったのも決め手になった。認知症予防のサプリメントも取り扱っていたが、この頃は認知症と言う言葉もよく知らなかった。この会社は、女性の販売員さんがたくさんいて、各家庭に食品を直接届けていた。お客さんも販売員さんも、健康意識の高い40 歳から80 歳ぐらいの方で、お陰様で健康について色々な勉強ができた。私は販売員さんの支援や束ねる仕事をしており、日常的に年上の方とお話をする機会が多かった。また、昔から主婦やおばあさんの受けが良く、交流そのものが楽しかった。「健康は大切!食べたものが自分の体になる!」と強く感じ、今でも食品を買うときは何が入っているか必ず見て買っている。ちなみに食材を買うのは私の役目で、料理は得意な妻がする。妻は自分でレシピを考え、早くて上手。妻とは会社の上司にしつこく勧められて参加した“街コン”で出会って結婚した。新居は妻と私が住んでいた場所の、丁度真ん中にあたる府中にした。この会社は良い会社だったが転勤が多く、地方への単身赴任もあるため結婚を機に転職を考えるようになった。食への興味から農業の道に進みたくなり、まずは農体験をするために妻と共にトマト農園やネギ農家に直接連絡を入れ、ボランティアをさせてもらった。トマト農家では、手が真っ赤になるまでトマトのもぎ取りを永遠と続け、葉カキという剪定作業も永遠と行った。ネギ農家では、暑い中一日中雑草抜きばかりをしていた。農業をするために田舎への移住も考え、実際に長野県飯田市まで泊まりで行って農業体験までした。ところが、農業は体力的にも大変きつく、しかも周りには何もない土地。とても現実は厳しく、長野の農体験を機に「農業は止めよう」と諦めた。
農業を諦めた後は、枕の会社に就職してスーパーやホームセンターへ枕を営業して回る仕事に就いた。しかし、家に帰るのは夜の9時を過ぎる。子供ができたら、その環境で育てるのは大変だと感じ、結局1年半で辞めた。次の職を探している時に、妻が「あなたは主婦やおばあちゃんの受けが良いから、介護の仕事は?」と勧めてくれた。「そうなのかな?」と、確かめるためにホームページが目に留まった“デイサービスももたろう” へ一日ボランティアとして働き、その他のデイにも一日体験で行った。自分に合っていると感じ、その後も介護の資格を取りながら何社か面接や見学に行った。“ももたろう” が一番明るく楽しそうな職場だったので、もう一度ボランティアに行った後に就職を決めた。出してもらったお昼のお弁当が美味しかったのも決め手の一つだったりする。まだ就職して2か月半。皆さまとお話をしたり、レクリエーションをしたりして喜んで貰えるのが大変うれしく、毎日が楽しい。大学を卒業してから8年も掛ったが、こうしてようやく「しっくりくる仕事」が見つかった。26 歳になった妹は、父と同じ会社に入社し、大きな建築プロジェクトを担当している。私たち兄妹が社会人になるのを見届けると、父は実家のある札幌に移住し、あちらで仕事や趣味を楽しんでいる。立派に育ててくれた父には感謝しかない。たまに札幌へ遊びに行くのと、父の日や誕生日には連絡をとっている。
正直に言うと、介護にはあまり良いイメージは持っていなかった。きつくて大変そうだし、給料も少ないイメージだった。業界に飛び込んでみて感じたのが、イメージとは違っていたこと。社会には間違いなく必要なサービスであり、地域貢献もでき、やりがいもある。なにより、人と関わり、人間らしい生活ができることが良い。昔読んだ本に“働くとは、傍を楽にすること” と書いてあった。家族の代わりに良質な介護を提供することで、例えば自営業の飲食店が閉店せずに済むならば、その店に集う人々の笑顔を、その地域の経済を支えることにもつながってゆく。今まで戴いてきた恩を次に送れるよう、おかげさまの気持ちで仕事に取り組んでいきたい。まだ30 歳、この“デイサービスももたろう” を次の世代に残せるよう頑張りたい。