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暑い暑い夏がやっと過ぎました。暑い日々は戸外の歩行リハに行けませんでしたが、毎日室内で 200m 以上歩いていただきました。やっと涼しくなりましたでの、出来るだけ全員の方に 220m ~ 840m程歩いていただいています。外の空気は美味しく、戻られると皆様お元気になられます。気温の変化を肌で感じるのは、脳にも大変良いと言われています。
時代は変わっても、変わらないもの
生まれも育ちも大阪の梅田。大阪の中心地にある実家は、阪急百貨店の近くで菓子工場を営んでいた。大きな敷地に工場があり、何人もの職人さんが働いていた。作っていたお菓子は手焼きせんべいで、職人さんが1枚1枚手焼きして卸していた。ほとんどの職人さんは住み込みだったので、祖母と母が中心になって賄の方の力も借りながら3食の食事を作った。毎日炭や薪で火をおこし、竹筒でフーフーと息を吹き、大きな窯で調理していて常に活気があった。私は三姉妹の長女。母からすると、三姉妹の中でも長女の私が一番活発だったそう。自宅の庭も広く、小学生時代にはよく級友が集まって、ケンパやドッジボールで遊んだものだ。買い物と言えば歩いてすぐの阪急百貨店で、今思うと恵まれた暮らしを送っていた。小学校時代の夏休みは、姉妹3人で父と母の実家がある京都の丹波に預けられた。こちらもふるくから続く大きなお菓子屋さんで、接客のまねごとをさせてもらった。海側の実家では海で泳ぎ、飛び込みもして真っ黒に日焼けすると何度も皮膚がむけた。海で採った貝を網の上で焼いたおやつが美味しかったが、食べ過ぎて貝が嫌いになってしまった。泳ぎは得意だったが、跳び箱やマットは苦手。山側の実家では木になった柿を取って食べた。熊と何度か鉢合わせたことがあり、両腕を大きく広げた熊を見たのが一番の思い出だ。そんな活発だった私を見て、祖父からは「あんたが男だったらよかったのに…」と、跡継ぎの事を残念そうに言われたものだ。
高校生の時に工場が火事になり、たくさんの消防自動車が来てなんとか延焼を食い止めた。しかし会社は倒産し、隣の銀行に土地を買い取ってもらい地方へと移住した。高校時代には母も亡くし、親戚には何かとよくしてもらった。高校卒業後は銀行に就職した。主人になる人とは、会社近くの食べもの屋さんで知り合った。主人は近くの設計事務所に勤めていて、よく銀行にも来ていた。私が 23 歳、主人が 26 歳の時に結婚。東京・練馬に越してきて新婚生活が始まった。片町に『府中スカイハイツ』が昭和 52 年に完成すると、すぐに入居。子供は長男・長女・次女の3人をもうけた。子供たちが小さい頃は同じような年齢の子供たちもハイツに多く暮らしていたので、とても賑やかだった。みんな近くの第三小学校へ通い、放課後はハイツ裏側にある公園で、近所の友達も一緒になって遊んでいた。特に長男は活発で、大きな声を出して「オキツ早くボールを蹴れ!」と遊ぶ声が聞こえてきたのを覚えている。そう、所長とは直接面識はないものの、ここへ来て息子同士は友達で、共通の知り合いもいると知った。子育て世帯が多く入居し、子供たちがいたずらや悪さをすると、同じハイツに住むお母さん達が、自分の子供と分け隔てなく大きな声で叱ってくれた。ハイツに住むほとんどの子供たちの顔は知っており、騒がしくも活気があって楽しい時代だった。数人の母親が中心となって、地域の子供たちを集団で面倒を見ることもした。子供が大きくなって多少手が離れるようになると、東芝の府中工場でパートの仕事を 10 年ほどした。
癌家系ということもあってか、今から 10 年ほど前より癌を繰り返した。乳がん、食道がん、咽頭がんと毎年のように見つかり、入退院を繰り返す日々。お陰様で今は定期通院のみで落ち着いている。闘病が落ち着いてきた頃、新しくできた府中駅の近くのマンションに引っ越した。入院している間、主人が家事をしてくれたので、主人も一通り家事ができるようになり、今でも調理をしてくれる。しかし、食道癌のためか食欲は沸かず、あまり食事が摂れなくなった。偏食の傾向も強く、簡単な同じ食事を毎食のように食べていた。ハイツでは友人知人も多くいたが、新居では住民同士の交流もほとんどなく、マンション内で人に会うことも稀だ。体調の事もあって外出する機会はほとんどなくなり、マンション上層階の部屋から見える大國魂神社に向かって愛犬を抱っこしてお祈りし、日中は愛犬とお話しするのが日課だった。ちなみに愛犬の散歩は主人と娘がしてくれ、私が連れていくことはない。外出も交流も食事も減ってしまった私を心配し、主人が勧めてくれたのが “デイサービスももたろう” だった。最初は馴染めるか不安だったが、皆いい人ばかりですぐに馴染めた。現在は週2回通っていて、楽しく過ごせている。小学生の頃に書道教室に通っていた記憶があり、墨の匂いが好き。木曜日の習字を楽しみにしている。昼食がおいしいので、おかずは全部食べている。栄養の多くがデイサービスでの昼食なのではないかと思うほどだ。食事の量や種類、スピードも増え、主人も喜んでくれている。今ではデイで昼食前に行う足踏み運動を、自宅でも2セット行うのが習慣になった。おかげで足の上がりが軽くなり、階段も軽く上がれるようになった気がする。
こうして元気でいられるのも、いつも傍で支えてくれるお父さんのおかげ。毎日「愛犬と家族全員が元気でありますように」と大國魂神社に向かってお願いし、愛犬には「長生きしようね」と話している。現在、長男は会社を経営し、長女は世田谷から孫と一緒に遊びに来てくれる。次女は外資系の会社に勤め、在宅勤務も多いこともあって面倒をみてくれている。主人は毎日のようにテニスへ通い、元気にしている。色々な病気をしたけれど、“ももたろう” に通うことで日々元気になっていっていることが実感できることが嬉しく、幸せを感じている。活気があり、人との距離が近かったあの時代が懐かしく、今でも子供の笑い声を聞くと元気が出る。いつの時代も人と人との交流はとても大切なことだ。ただ、時代は変わり、今はおせっかいを焼きすぎないように注意している。もう何かをしたいといった欲は特に無いが、こうして人とのつながりを持ちながら、穏やかに過ごしていきたい。