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●●家族交流会のお誘い●● 日時:11 月26 日(土)13 時30 分~ 場所:大東京卸売センター内会場(P有) この日は『多摩介護福祉フェア』をセンター内で開催しています。各種福祉機器・用具の展示や、特別講演もあります。在宅介護について一緒に考えませんか。●●今年のクリスマス会日程決定●● 日時:12 月10 日(土)午前中 場所:本町公会堂(P有) 恒例のクリスマス会、ご期待下さい。

“幸せすぎる” 人生とは

 千葉県安房郡岩井海岸の傍で5人兄弟の末っ子として生まれた。岩井海岸といえば、東京の学校が所有する林間施設や、会社の保養所も多くある、風光明媚で過ごしやすい所だ。実家は父が大工の棟梁で、母は養護学校に監督として勤めていた。父の仕事場は岩井の町の中心部にあり、自宅は海岸の傍。自宅の坂を下るとすぐに浜がある。漁師からよく「坊、バケツを持ってきな」と言われ、「男ではないよ!」と言いながらも、魚をもらいに行った。毎日新鮮な魚や海藻を食べ、潮風に吹かれながら元気に育った。
 実家の周辺には父が所有する物件が何件かあり、夏には別荘として貸していた。毎年のように来てくれる方の中に、日本橋や京橋で料亭や寿司屋を営む方も居られ、よくお店や自宅へ遊びに行った。そのついでに母と銀座で買い物をし、服を沢山買ってもらった。皇居の二重橋も散歩がてら見に行った思い出がある。父の仕事も順調で、お金には全く困らず、食べるものにも困らなかった。小学校は家からも近い岩井小学校に通ったが、歩いて行くには危ないからと、近所の友達も一緒に毎日車で送ってもらっていた。それでも、生活や服装は地味にしていた。飾る必要が無いのだから。
 府中へは親戚が大きなガラス屋をしており、その関係で移り住んだ。ご縁で日本製鋼所の食堂で働くようになり、そこに勤める主人と出会い、結婚。毎日天ぷらや煮物、魚を調理していたので、料理はお手の物。家事でもなんでもちゃちゃっと行う性格なので、喧嘩もせずに夫婦仲良く暮らせた。料理以外も書道や日本太鼓の先生を家に呼んで習いもした。
 戦時中もお金や食べ物に困ったことはなく、特に悩みもなかった。友人も多く、お互いに助け合う気持ちで、友人がお金に困っていたら、あげるつもりで貸したりもした。夫が出兵した際も心配せずにいた私は、いつも人から「のん気やさん」と言われた。人間なるようにしかならないのだから、くよくよしてもしょうがない。明るく過ごしていれば何とかなるもので、夫も無事に戦地から帰って来た。
 のん気な性格はずっと変わらず、いまでものん気に過ごしている。昔は同居のお嫁さんが勤めていたので、家事や孫の世話もしていたが、叔母から「若い人に口を挟んではけないよ。波風立てたらダメだよ」と、忠告されていた。だから争うこともなく、現在も家庭はうまく回っている。有難いことに「孫でマゴマゴする」ほど孫が多く、ひ孫もいる。温かい親族に囲まれ、何も考えない、のん気な生活させてもらっている。
 『ももたろう』へは主人が亡くなって直ぐ、家族の勧めで通うようになった。日本製鋼所で同時期に働いていた方とも再会でき、昔の話ができたのが嬉しかった。はや6年以上通っている今でも、皆とおしゃべりしたり、歌ったり、公園へ散歩に行ったりと、毎日楽しく通っている。ここは意地悪な人がいなくて過ごしやすい。現在は息子夫婦と私の3人で住んでいるが、月に2日はももたろうを休み、娘たちと賑やかに過ごす日を持っている。
 現在91 歳、身体も元気。幸せすぎて、何も言う事のない人生。人生、なるようになる。

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