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近所の方らか「点つなぎ」の本をいただきました。お亡くなりになったお母さまが熱心にされていたそうです。数字を順に線で結ぶと“スターの顔” や“漢字” 等々が現れます。午後の活動でしていただくと、皆様大変熱中され、「おやつですよ」の声も聞こえないほど。「どんな絵が出てくるか楽しみ」と。スーパーにも売っています。

育て続けて40 年

 生まれは東京都文京区小石川、東京大学の赤門に近い落ち着いた住宅街で生まれた。父は製本業の職人で『広辞苑』を作り、母は専業主婦。兄弟は5人で、私は3番目。戦争が始まると、3歳の時に父と姉たちを東京に残し、母の実家がある富山へ、母・妹2人と私の4人で疎開した。母は疎開先で大変苦労したようだが、理不尽なことが事が当たり前の時代だった。昭和20 年3月の東京大空襲で、製本工場や住まいは全部焼けた。ただ4月に入学する小石川高等小学校は、屋上にプールが有ったためか焼けずに残った。他にも東京大学や東大植物園、芸者街の柳町は焼けなかった。焼けなかったというより、残すべきと判断された所は空襲されなかった。終戦後の9月、母と共に焼け野原となった小石川に戻ってきた。腹巻に巻いて持ち帰ったお金で早速バラック小屋を建てると、父の仕事も再開することができた。私はその小屋の前に座り、鼻歌を歌いながら泥棒に何か持っていかれないよう、留守番をするのが仕事だった。荒廃した地に母は花を植え育て、少しでも落ち着いて過ごせるように整えてくれた。母は大変気丈な女性だったと、今では思う。

 高校で茶道に触れ、心が落ち着き大好きになった。高校卒業後は、竹早教員養成所に2年間通って幼稚園教諭の免許を取った。卒業後、その免許は使わず一般の会社に就職。結婚は同じビルに勤めていた男性を紹介されたのが切掛けで、主人のひとめぼれだった。結婚当時私は24 歳、主人は33 歳。優しい主人だが、何度お見合いをしてもなかなか結婚まで至らなかったそう。府中駅から徒歩3分、300 坪の敷地に建つ大きな家に嫁ぎ、新婚生活が始まった。主人の父親は亡くなっていたため、主人・姑・3人の兄弟・義妹の計6人の暮らしに私が加わった。主人の父親は、初代府中市長だった小林市長の時代、いち早く府中に水道を通した地元の名士。近くの国立市や国分寺市に比べて府中市が色々な面で豊かなのは、水道が早く引かれたことが大きな要因といつも聞かされた。当時は当たり前だったが、一家全員の食事作りから洗濯・掃除・家事全般を嫁が全部こなした。子供は3人の娘を授かり、教育ママと言うほどではないがピアノやバレエなどを習わせた。

 子供が好きだったこともあり、子育てが一段落した40 歳の頃、この300 坪の土地に建つ家で家庭福祉園を開園した。『子供は日本の宝である。お勤めのお母さんのために、良い環境を作って良い子を育てよう』をモットーに、0歳児から2歳児クラスまでの保育を行った。60 歳までの20 年間、園長として仕事をこなし、忙しかったがとても楽しかった。その後、この土地にタワーマンションが建つことになり、家庭福祉園は閉園した。マンションの一部と土地を等価交換したため、上層階の部屋に住み、庭には茶室も作った。そして、マンションの一階部分に新しく保育園を作り、主人を初代理事長として迎えると、私は園長として新しいスタートを切った。3歳未満児を対象とする定員37 名。味覚が発達する大切な時期でもあるため、給食は栄養士の献立で園内調理とした。地元の食材を基本として、農園で子供たちと育てた野菜も使い、美味しいと評判だ。職員にも恵まれ、みな長く働いてくれ父兄にも喜ばれている。どうしても園内が狭いため、毎日のように近くの公園へ通い、運動会は小学校の校庭を借りて体をいっぱい動かした。2歳児クラスになると、競馬場や府中の森公園まで足を延ばし遊びに行く。保育園開園から10 年後には、新町に第2保育園を設立した。こちらは0歳から就学前の5歳児クラスで、定員は72 名規模になった。こうして毎日子供たちと楽しく生活し、忙しいながらも夫が病に倒れるまでは、月に一度夫婦で熱海など近場の温泉へ行く時間も持てた。

 80 歳になった3年前に園長職を退いて理事長に就任し、今は入園式や卒園式に出席するのみで、運営は立派に育った職員達に任せている。3人の娘のうち、1人ぐらいは保育園を継いでくれると思っていたが、音大を出たり、中学校の英語の教師になったり、絵本作家になったりとみな独自の道を力強く歩いている。今の生活は、毎週聖蹟桜ヶ丘までパソコンを習いに電車で通い、“デイサービス ももたろう” には週1回、そのほか半日の体操デイにも週2回通っている。“デイサービス もももたろう” は、娘の勧めで見学して利用を決めた。午前中は『押絵』の制作に参加し、先生に褒めてもらえると嬉しい。午後はパズルや着彩を楽しんでいる。2人の娘と、愛犬1頭と共に生活していて、家に帰ってからも夕食は当番制のため私も調理に参加している。毎夜30 分ほど友達と散歩にも行き、茶室でお茶を教えることもあるため、毎日結構忙しい。現在83 歳。義妹は76 歳だが、認知症で病院に入院している。まだまだ心身ともに元気に暮らしたいと願い、こうして楽しく活発に過ごせる場所があって、本当にありがたいと思っている。

 “デイサービス ももたろう” には、私が理事長をしている保育園に3歳の息子さんを預けているスタッフがおられ、この3月には無事に卒園するとの事。「良い先生ばかりで安心して子供を預けられ、こうして楽しく仕事ができています♪」と、笑顔で言われ大変嬉しい。

 人生における私の目標は、達成された、と感じている。